コラム

インド仏跡参拝の旅

【期日】2019年10月7日(月)~14日(月)

【日程】
10/7 中部空港(7:40)→成田空港→デリー(17:00)

    10/8 デリー空港(10:15)→ベナレス(11:35)
    10/9 ベナレス(8:30)→ブダガヤ(15:30)バス移動260㎞
    10/10 ブダガヤ(9:00)→ラージギル(13:00)バス移動90㎞
    10/11 ラージギル(9:00)→ナーランダ大学(9:10)
        →バイシャリ→クシナガラ(21:00)バス移動260㎞
    10/12 クシナガラ(12:15)→ゴラクプール空港→デリー(18:05)
    10/13 デリー空港(22:15)→
    10/14 成田空港(9:15)→中部空港(12:05)



【参加者】
10代~80代の男女21名+添乗員・現地ガイド


【きっかけ】
 毎年8月におこなっている当山の納骨物故者追弔会で、ここ数年にわたり法話をお願いしている小谷香示先生が、昨年の法話の中で「大病を患ったけれども、幸運にも寛解することができたので、念願だったインド仏跡旅行に行こうと思っています」と言われました。法話を聞いておられた当山の責任役員 杉浦治雄氏が、「そういうことなら、ぜひ参加したい」と言われました。「まあ責役さんだけ参加してもらうわけにもいかないよな」と思い、ついでに参加させてもらうことにしました。


【インドについて】
 インドは2500年前にお釈迦さまが生まれた国で仏教発祥の地ですが、私は僧侶でありながら、これまで仏教との関係という点ではあまりインドに興味が持てませんでした。現在では8割ほどがヒンズー教徒で、仏跡といっても観光向けの遺跡に過ぎないではないかという思いがあったからです。

     
 しかし学生時代に、沢木耕太郎が若い頃バックパッカー旅行でユーラシア大陸を横断したことを題材にした『深夜特急』というノンフィクションを読んだり、サイババについて書かれた青山圭秀の『理性のゆらぎ』や、敬愛する遠藤周作の『深い河』などインドが舞台となった作品を読んでいたので、心のどこかでその独特の精神性や文化に興味を引かれていたのかもしれません。

 今回インドを初めて訪れて、それらの作品で描かれていた世界が、まさにそのままあるのを見ることができて、本を読んだ時の感覚が蘇ってきました。インドを形容する言い方でよく「混沌」という言葉が使われますが、訪れてみてやはり私もこの言葉が頭に浮かびました。

 最初に訪れたインド最大の聖地といわれるガンジス川のほとりのベナレスでは、沐浴するヒンズー教徒たちや、大勢の物売りや物乞い、牛や野良犬が一緒くたになって自由に歩き回ったり寝ていたりしている様子、オートリキシャという三輪のタクシーやバイク、裸足の人があふれる雑踏、けたたましいクラクションの音など、何ともいえないエネルギーが渦巻いています。
    
 統計を見てみると、インドの人口は13億人超で中国に次いで世界第2位、名目GDPは第7位でイタリア、韓国、カナダなどを上回ります。携帯電話の普及率も高く、どこでもスマホを持っている人を見かけるという具合です。その一方で田舎の方へ行けば、いまだに土壁の家に住んで、牛のフンを30㎝くらいの円盤状にして壁などに貼り付けて乾燥させて燃料にするという原始的な生活をしているのが街道沿いでも当たり前に見ることができます。IT産業が盛んで最先端の技術が普及している一方で、日本で言えば江戸時代のような生活様式も同居しているという状況に混乱させられます。

 専用の大型バスでの移動だったのですが、地方の市街地では信号もなく、リキシャやバイク、徒歩の人、牛や野良犬がそれぞれ無秩序に動くのをクラクションで牽制して強引に進んでいく運転のテクニックの凄さは、『深夜特急』そのままで驚嘆しました。高速道路でも当たり前のように逆走してくる対向車や牛に、とてもここでは運転できないと思いました。

 仏跡や観光地に必ずいる物乞いにも戸惑いました。赤ん坊、身体障がい、高齢など哀れみを誘い利用できるものは何でも利用して施しを求めるしたたかさには脱帽でした。中にはパーリ語の三帰依文「ぶっだん さらなーん がっちゃーみ」をアコーディオンの伴奏つきで歌う子どももいました。カースト制度がいまだに機能しているのをまのあたりにする思いでした。

【仏跡参拝の所感】
4大聖地と言われる
①ルンビニー(お釈迦さま生誕の地)
②ブッダガヤ(成道の地)
③サールナート(初転法輪の地)
④クシナガラ(入涅槃の地)
に、
⑤ラジギール(王舎城・布教の地)
⑥シュラヴァスティ(祇園精舎・布教の本拠地とされていた)
⑦ヴァイシャリ(最期の旅の地)
⑧サンカーシャ(昇天の地)
の四つを加えて八大仏跡といいます。このうち今回の旅では②、③、④、⑤、⑦の5箇所を訪れました。


 中でもいちばん賑わっていたのがブッダガヤで、さまざまな国の仏教徒が集まっていました。国によって装束や勤行、礼拝の作法が違い、同時進行であちこちで法要が勤められていてとても賑やかです。大菩提寺は古いレンガ造りで、高さ52メートルもあり、紀元前200年ごろアショーカ王によって建立されたそうですが、今の形になったのは4世紀ごろだそうです。ここでお釈迦さまが悟りを開かれたわけですから、まさに仏教発祥の地という貫禄があり、この地に世界中の仏教徒が思いを寄せるのは当然のことだと思います。

(※ 実は13世紀ごろイスラム教の進出により、インドでは仏教はほぼ壊滅状態となります。寺を破壊されることを怖れた仏教徒たちは、大菩提寺の最上部を残して小山のような状態で地中に埋めて難を逃れました。19世紀の終わり頃に発掘され、修復と整備をされて今の状態に至るそうです。)

 しかし、初転法輪の地サールナートは、私たち真宗門徒にとっては、より重要な意味があるのではないでしょうか。初転法輪とは、悟りを開かれたお釈迦さまが初めて5人の比丘に対して説法し、みなお釈迦さまと同様の悟りを開いて阿羅漢となったことを言います。つまり、初転法輪をもって仏・法・僧の三宝が初めて地上に出現したという歴史的な出来事です。

 『今を生きるための歎異抄入門』という新書があるのですが、その中で著者の佐々木正さんが「仏教の二分割」ということを言っておられます。これは、さまざまな形に分かれて掴み所のないように見える現在の仏教を「成道までの仏教」と「初転法輪からの仏教」の二つのグループに分けるという独自の仏教観です。「悟りを目指してさまざまな修行を行う仏教」と、それに対して「説かれる教えを“ただ聞く”ことだけで成り立つ仏教」に分けて、法然・親鸞のグループこそ「初転法輪からの仏教」だと指摘されています。

「説かれる教え」とは、具体的にはナムアミダブツと称え、私たちが日々体験するさまざまな出会いや出来事を丸ごと包み込んで、私を目覚めさせるための「仏の教え」といただいていくことです。実際には、なかなかそう受けとめられずに腹が立ったり、落ち込んだりすることが多いわけですが(-_-;)


 仏教経典は「如是我聞」(かくのごとく我聞きたまいき)という一語から始まっています。これはお経は、お釈迦さまが書いたものではなく、お釈迦さまの説法を聞いた人(阿難)が「私はこのように聞きました」と、自分の受けとめを記述しているのです。つまり発信する側(仏)の言いたいことよりも、受けとめた側(衆生)が、どういう目覚めや気づきをもたらされたかが重要だということでしょう。

 今回の旅では、わずかな時間でしたが、インドのさまざまな光景や、人々の暮らしを垣間見て、潜在的に人々が平等と安心を求める土壌が仏教を生み出す元になったのではないかと思いました。また牛や野良犬、サルやリスなどさまざまな動物を見かけましたが、みな人間を恐れていないのも印象的でした。これは人間にいじめられた経験がないことを表しています。ただ一つ例外があって、ネコを1匹だけ見かけたのですが、日本の野良ネコと一緒で人間を寄せ付けない雰囲気でした。

 インド人ガイドのバンシーさんに尋ねると、インドの人たちが大切にしているガネーシャというゾウの顔をした神さま(日本で言えば布袋さんみたいな存在?)がいるのですが、その神さまが乗り物としているのがネズミなのだそうです。ネコはネズミを食べてしまうからインド人はネコが嫌いということらしいです。そういえばお釈迦さまの涅槃図にもネコは描かれていませんでしたね。

★膨大な写真をアルバムにしました。動画も一部あります。こちらからどうぞ。
ベナレスで出会った行者。黙って座っているだけですが、みんながお賽銭をあげていきます。
ナーランダ大学跡にて。衣装があまりに美しかったので思わずシャッターを押しました。
クシナガラの涅槃像。白装束はスリランカの仏教徒たちです。
マハトマ・ガンディーの像。当山の責任役員の杉浦氏と。

これからのお墓のあり方を考える。(永代供養墓について)

平成30年12月10日(月)午後1時から5時、大阪市にある應典院(浄土宗)というお寺へ行ってきました。應典院は、これからのお寺のあり方を考える上で、その仕組みや社会との関わり方という点で先進的な取り組みを長年にわたってされており、全国的にも注目されているお寺です。今回はこのお寺で行われた『(※)永代供養墓をめぐる現在の状況・最新のつくり方』というセミナーを受講するために訪れました。会場には全国から80名を超える様々な宗旨・宗派の方々が参加しておられ、このお墓の問題に対する関心の高さを物語っていると思います。

宝林寺でも、平成22年(2010年)におこなった、分譲区画ではない山墓地の所有者調査で、無縁墓・不要墓が、あわせて約100基ほどあることが判明しています。それらを合祀させていただくとしても、受け皿となる施設が必要なのと、また、お参りの折りなどに皆さんのお話を伺うと、少子化に伴う跡継ぎの問題や、先祖や家という概念に対する価値観の変化により、個人の墓よりも、みんなで入る大きなお墓(永代供養墓)を要望しておられる方も増えてきているように感じます。それならば、どのような施設を作ることが将来的に皆さんにとっても、お寺にとっても安心につながるのか情報収集する目的でこのセミナーに参加しました。

結論から言えば、どのような施設を作るかというハード面よりも、利用者の方が「ここに入れてもらえば安心だ」と感じられるような、お寺全体が醸し出す安心感というソフト面に納得できなければ、どのような立派な施設を作っても皆さんの支持は得られないということだと感じました。このセミナーでは、主催者である礼拝施設デザイナーの方と、永代供養墓の先行事例として、横浜市の日蓮宗 妙法寺 久住謙昭さん、埼玉県八潮市の浄土宗 立正寺 鈴木俊也さん、山口県岩国市 浄土宗 瑞相寺 三谷彰寛さんと、会所の應典院住職 秋田光彦さん がそれぞれプレゼンテーションをされましたが、共通していたのは、「墓地希望者のさまざまな不安を取り除きたい」という出発点から永代供養墓のコンセプトを作っているということと、永代供養墓が、お寺と地域との新たなつながりの結節点となっていることだと思いました。

また永代供養墓を求める方にもいろんな事情があり、少なくない人が、必ずしも値段の安さを重視してこの形式を選択しているわけではないということを言われていました。たとえば他のある寺院では、墓地希望者の負担を考えて利用料金をきわめて低く設定したのだそうです。その結果、利用者が「お骨の便利な引き取り場所」というように受け止めてしまい、多くの方が、納骨して以降ほとんどお参りにも来られないという状況になってしまったそうです。つまり安売りは、かえってそのお寺の格式や、伝統を破壊することにもなりかねないということを言われていました。

また永代供養墓は、多くの方が自分で入るお墓を生前中に自分で契約されるのだそうです。つまり自覚的に選択するわけですから、多くの方が
自分の人生の終焉を身近なこととして肯定的にとらえ「限りがある命だからこそ、ほんとうの生き方がしたい!」という願いを持ちつつ生きることが始まるという印象を受けました。発表者の方々が、それぞれの現場で経験した、永代供養墓を中心としたお寺づくりが、地域のソーシャルキャピタル(=社会関係資本。表立っては見えない信頼、絆、規範、ネットワークなど)を築くきっかけともなっているという具体例は、とても魅力的な内容でした。従来からあるような、業者主体の経済的なメリットを第一義とした墓地経営よりも、もっとスケールの大きな話で、仏教の精神にもかなっており、お寺のおこなう事業としてとても有意義だと思いました。

しかしそれも、利用者の方々の、住職や坊守などお寺に住む者に対する信頼なくしては成り立たないとも言われていました。「檀信徒に寄りそう」ということでは、発表者の一人は、ソフト開発業者と協力して、お寺に檀家さんから電話が入ると同時に、その家の家族構成や、過去帳、法事の履歴などが瞬時にパソコン画面に表示されるシステムを作ったそうです。一流ホテルのように、寺族の誰が電話を受けても、「◯◯さん、来年はおじいちゃんの7回忌ですね」というような応対ができることを目指したのだそうです。

また他の方は、「法事録」を作って、法要の日時・気温・お参りの方の人数・法話の内容・お茶菓子は何を出したか、法要の合間にどういうやり取りがされたかなどを細かくデータとして残しているのだそうです。すると「3回忌の時は、騒いでいた小さいお子さんが、おつとめが始まるときちんと手を合わせてお参りしてくれましたね」というようなことも次に法事があった時に話題にできると、俄然お寺に対する親しみを持っていただける、というようなことも仰っていました。

発表者のお話を伺い、宝林寺(私)も含めて真宗は、親鸞聖人の教えの真実性や純粋さを誇るあまり、「人々に寄りそう」ということを、すこし疎かにしてきたのかもしれないと感じました。どんな素晴らしい教えでも、上から目線で言われれば素直に聞こうとは思いません。教えを一方的に発信するのではなく、一人ひとりの人が何に悩み、どういう不安を抱えているのかに、まずは耳を傾けるということが大事だと感じました。

また、今年度は宝林寺でもいろんな縁で、音楽ライブやお坊さん漫才など様々なイベント的な催しをすることができて、これまでにはない達成感を感じることができました。同時に、私自身がどこかで「これは世間に迎合しているのではないか?」という疑問も持っていました。しかし、お寺がイベントをするということについて、先ほどのソーシャルキャピタルという考え方から言えば「それは地域の協調性を高めることに貢献するという意味がある」という旨を應典院の住職さんが仰ってみえて、何かモヤモヤしていたものがスーッと腑に落ちた思いがしました。公民館やカルチャーセンターとは一味ちがう、お寺ならではの発想から生まれる催しが、人々の交流のきっかけとなり、地域を支え活性化させることに貢献できるとすれば、とても夢のある話だと思います。

半日だけのセミナーでしたが、実際に永代供養墓の運営をとおして、地域との新たな関係性を紡ぎ出したという実例からのお話だったので、たいへん内容が濃く、また良い刺激を受けました。いつできるかはまだ未定ですが、これから宝林寺と、この地域にふさわしい永代供養墓を作っていきたいとあらためて思いました。

(※)永代供養墓とは. 従来の家単位のお墓ではなく、お寺、霊園などが建墓して、家や家族に代わって墓守(供養・管理)をしてくれる合葬形式のお墓です。将来的に家族・親族などお参りする人がいなくなっても無縁仏・無縁墓になる心配がありません。
應典院の本堂1階にある受付ブース。普通のお寺とだいぶ雰囲気が違います。
應典院住職の秋田光彦さん。「お寺の継承だけでなく、地域にとってお寺がどういう存在か考える必要がある」と仰います。
永代供養墓が、新たなソーシャルキャピタルを生み出す可能性について熱く語られています。

当山で仏前結婚式を執り行いました。

【期 日】平成30年5月26日(土)午後1時~

おだやかな日和に恵まれたこの日、当山本堂を会場に仏前結婚式が行われました。

新婦は住職(知見)の従兄弟の娘さんで、なんと南米チリの首都サンチアゴ在住で、新郎はチリの方です。新婦の親戚だけでなく、新郎のご両親と弟夫妻も参列されて、厳かな中にも温もりのある結婚式となりました。

昨年末頃より、チリとメールのやり取りで打合せを重ねてきましたが、予想以上にうまくいってホッとしました。特に、式の中で新郎新婦に“誓いのことば”を言っていただくところがあるのですが、チリ人のご家族にも理解してもらえるように、新郎にスペイン語で言ってもらったのが良かったです。

また、新婦の介添えで来てくれた美容師さんも「仏前結婚式は初めてでしたが、ステキですね!」と言ってくれたのでこちらとしても、自信になりました。

私の結婚式と今回と二度の仏前結婚式を経験しましたが、ノウハウや、さまざまな備品も蓄積できたので、今後、もし仏前結婚式をしたいという方は、ぜひ宝林寺へご連絡ください。
         

仏 前 結 婚 式 次 第  
                                         
        ✽ 参列者入場
        ✽ 喚鐘三打
        ✽ 司婚者入堂
        ✽ 新郎新婦入堂
        ✽ 開 式 の 辞      
        ✽ 総   礼
        ✽ 讃   仏(嘆仏偈)
        ✽ 表   白          PDFファイルを表示
        ✽ 司婚のことば PDFファイルを表示
        ✽ 誓いのことば PDFファイルを表示
        ✽ 念 珠 授 与
        ✽ 献   香
        ✽ 式 杯・乾 杯
        ✽ 讃 歌(恩徳讃)
        ✽ 閉式の辞


仏前結婚式の様子をスライドショーにしてみました。

「写真集コーナー」にも、少しですがプロによる写真を掲載しました。
会場の様子。イス席で準備しました。
会場の配置図です。
新郎新婦 入堂
誓いのことば

浄土こそ真宗である

寒い日が続いています。宝林寺のある愛知県安城市では、今のところ交通がマヒしてしまうほどの大雪は降っていません。

 少し前になりますが今年の1月中旬、新潟県のJR信越本線で、帰宅ラッシュで混雑する通勤電車が、大雪のため立ち往生したというニュースが伝えられました。電車に閉じ込められた人数は約430名、時間は何と15時間にも及んだそうです。中には気分が悪くなって救急搬送された乗客もあったそうですが、多くの乗客は意外にも大きく体調を崩さずに翌日に解放されたのだそうです。中には「良い経験をさせてもらいました」と言っていた方もあったと伝えられました。いったいどういうことでしょうか?

そこには、乗客の中に乗っていたある一人の80代のおばあちゃんの果たした役割が大きかったということでした。通勤電車なので車両の両側に向かい合うように配置されたシートに座っていた少数の乗客以外は、吊革につかまって立ったままだったそうです。

シートに座っていたこのおばあちゃんは、自分の目の前の高校生に「立ったままじゃしんどいでしょ。替わってあげる」と席を譲ったのだそうです。このおばあちゃんは明るい方で、その若者に地元名産のレンコン料理の作り方を教えたり「若い人ももっとレンコンを食べなきゃダメよ!」などとおしゃべりで場を和ませ、また移動して他の方と席を替わったりしながら行く先々で世間話をしたりしておられたそうです。その結果、自然と車内の雰囲気が和み、他の乗客たちもお互いに席を譲り合ったり、知らない人同士で世間話を始めたりしたのだそうです。

長時間同じ姿勢でじっとしたままだと血行が悪くなり、とても危険なのですが、お互いが席を譲り合ったり、電車内を移動することによって、図らずも血行が促進され、また会話によって赤の他人なのに、不思議な一体感のようなものが生まれたのだそうです。番組は「これは奇跡だ!」と伝えていました。本当にそのとおりだと思います。

 「浄土真宗を、わたしは“浄土こそ真宗である”といただいています」
この言葉は、大谷専修学院におられた中川晧三郎先生からお聞きしたものです。一般的には「浄土真宗」といえば数ある仏教宗派の一つと受け止められると思いますが、中川先生のこの言葉が示すところは、「人として生きることについて、“浄土”こそが“真実の依りどころ(宗)”である」ということです。

では、“浄土”とはどういう所かといえば、「誰もがお互いを認め、許し合うことができる世界」といっていいでしょう。そういう場所がどこかに実在しているというよりも、人間である以上、求めずにおれない世界。そういう自分の居場所を求めるのが私たち人間なのだと思います。また“依りどころ”とは、そのことを実現すべく問題意識として持ち続けていくことではないでしょうか。

しかし現実には、次々に現れてくる目の前の問題に追われ、他人に負けないように、馬鹿にされないようにと心に鎧を着て必死になるあまり、身近な人とも心を通わせることができず、孤独と不安を抱えているのが私たちのありようではないでしょうか。

極限状態の中で、一人のおばあちゃんの言動により引き起こされた奇跡といっていいこの出来事は、そこに居合わせた人たちに、普段はほとんど意識することはないけれども、改めて人が本来求めているものが何なのかを顕わにしたのではないでしょうか。決して快適ではないこの15時間を「良い経験でした」と言える人がおられたという事実が、「浄土こそ真宗である」という言葉の真実性を物語っているように感じました。

このおばあちゃんがどういう背景を持った人なのか、また意識してその場を和ませようとしたかどうかは分かりません。でもこの方のように、運命を呪うだけに終わらず、その時その時で自分のできることを工夫していける柔軟さを私も持ちたいと感じました。

もう一つ、私が尊敬するカトリックの作家 遠藤周作は、信仰を持って世間を生きるということについて、エッセイにこんなエピソードを書かれています。
ある時、遠藤が銀座かどこかのナイトクラブで仲間と飲んでいた時、トイレに立ったら、偶然いあわせた男性から声をかけられたのだそうです。
「遠藤さんですか?実は私もクリスチャンなんです。」
その方は、「クリスチャンたる者が、仕事の付き合いとはいえ、こんなホステスのいる店で飲んでいるなんて忸怩たる思いだ」ということを言いたかったようです。彼は、いわゆる“
敬虔なクリスチャン”のとるべき行動ではないと思っていたのでしょう。

それに対し遠藤は、
「あなたは何を言ってるんですか、
同席している人や、着いてくれている女の子たちに面白い話の一つでもして楽しませてあげるのがクリスチャンじゃないですか!」
と言ったそうです。このエピソードを読んで、私も同じく宗教を持つ者の生き方として、大いに勇気づけられた覚えがあります。宗教をもって生きるとは、何も世間からズレた堅物になることではないはずです。

浄土真宗ならば、自分が今いるこの場所を、自分の考える“
浄土”を表現する場として振る舞うのが自分の役割なのではないでしょうか?

このおばあちゃんの言動に、改めて遠藤周作の生き方に感銘を受けたことを思い出させてもらいました。

※ この話題はフジテレビ系列の『新報道2001』で放映されました。今のところ、こちらで番組の録画が視聴できます。(2分40秒くらいから)

初めて本山 東本願寺の報恩講のお斎をいただきました。

【期 日】平成29年11月22日(水)

京都の本山(東本願寺)で毎年つとめられる宗祖 親鸞聖人の祥月命日の法要 報恩講。宝林寺が所属する岡崎教区第15組では、毎年バスを出して団体参拝をしています。最近は日帰りと1泊2日の日程を隔年で交互に行っています。

今年は日帰りの年だったのですが、今回は初の試みとして本山のお斎(おとき=食事)を皆さんといただきました。同じ東本願寺の敷地内にある研修施設 同朋会館では,何度も食事をしたことがあったのですが、報恩講のお斎は初めてだったので、いったいどういうものかとても興味がありました。

お斎の会場は、大寝殿(おおしんでん)という参拝接待所のギャラリー奥の建物で、12時30分から約1時間をかけて摂ります。このお斎接待が報恩講期間は、毎日2回転行われているそうで、私たちは2回転目でした。

大寝殿に入ると、畳に赤い毛氈(もうせん)が縦に何列も敷かれており、参加者はその上に順番に案内されます。羽織袴の正装をした方たちが赤い輪島塗のお膳に載せた、これも赤い輪島塗の食器に盛られたお料理を、恭しく一人分ずつ配膳していきます。次に「かわらけ」という素焼きの薄型の杯に、羽織袴の人たちが『五環正宗』という、ここでしか味わえないという特別なお酒を、結婚式の三三九度の時に使うような独特の道具で、これも恭しく一人ずつ注いでいきます。その後、本山の執行部である内局より、今回は豊橋出身の藤井参務の挨拶のあと、「食前のことば」を唱和して一斉に食べ始めるという流れでした。

私たちが、箸をすすめていると、輪島塗の食器は、1859年(明治28年)に両堂が再建された時に作られ、今も修理をしながら大切に使われていること、お斎の材料の大根やレンコン、ゴボウなどの野菜などは、各地のご門徒の講というグループから毎年寄進されていること、配膳をしてくれた羽織袴の方たちは本山に出入りしている様々な業種の方々(保信会というそうです)であることや、大寝殿が本山の諸殿を再建の折に一番最初に作られて、仮御堂として使われていたことなどを係の方がいろいろ説明をしてくれました。

肝心のお斎の味の方は、泉仙(ここも保信会の会員だそうです。)の精進料理でおいしいのですが、暖房がまったくない中、みんなで一斉に食べ始めるため、熱々というわけにもいかないので、う~んという感じです。

しかしこれは、おいしいものを、お金さえ出せばいつでも簡単に食べられる現代において、先人たちの思いや、各地のご門徒衆の志をいただくという、食事の形をした一種の儀式なのだと思いました。ここでは、美味しい食べ物というご馳走ではなく、“伝統”を味わうという意味があるのでしょう。

真宗のお寺は、時の権力者や富裕層が一族の繁栄を願うために建てられたのではなく、庶民たちが力を合わせて、御同朋・御同行としてお互いを思いやり、生きる喜びを見出していくために建てられました。そのことの意義を確かめ、先達が大事にしてきた価値観を具体的に表しているのが、この本山の報恩講のお斎なのだと思いました。よい経験をさせていただきました。

詳細はこちら→東本願寺HPより
黄色いタスキが15組の方たちです。とても目立つので、迷子になりにくいです。
料理を配膳して頂いている様子。本山出入りの業者さんの集まり保信会の会員は61社もあるそうです。
結婚式の三三九度の時のような独特の道具でお酒を注いでくれます。
立派な輪島塗の食器類。まさに伝統をいただくという感じです。

追悼 八神正信先生 

今年の4月9日、宝林寺の永代経法要で法話をされる八神先生。残念ながらこの時が最後のご縁となりました。

宝林寺の報恩講と永代経法要のご法話を、20年以上にわたってお願いしていた八神正信先生(名古屋市昭和区 晃照寺前住職)がお浄土へ還られました。(8月30日 行年88才)
今年の4月9日。永代経法要にご出講いただき、あいかわらずのお元気な姿で、キレのあるご法話をいただいたのですが、控え室で「実は膵臓ガンが見つかり、これから治療が始まるんです。11月の報恩講には来られないので申し訳ありません」とお断りがありました。「またお元気になられたらお願いします」といってお見送りしたばかりでした。本当に残念です。
このコラムでは、先生のご自坊にお悔やみに伺った際に撮った写真や、生前中に伺ったことなどをご紹介させていただきたいと思います。

先生のご法話は、ストーリー性があって皆が共感しやすいように緻密に工夫されているので、聞法の経験の多少に関わらず、誰が聞いても説得力がありました。しっかりした教学に裏打ちされた深い内容のお話なのですが、聞く人を飽きさせないように“笑い”の要素が必ず入れられていたり、聴衆との会話のやり取りがあったりと、仏教の法話としてはもちろんのこと、たとえ真宗門徒でない方が、一種の話芸として聞いても十分な聞き応えがある内容であったと思います。

宝林寺の場合、毎年2回ずつお話しいただいていたので、時には同じ話材が話されるということもあったのですが、不思議なことに、何度も聞いても陳腐な感じがありませんでした。地味なようですがこれはすごいことだと思います。私も自分が法話をしていて時々感じることがあるのですが、話をする側が、同じ話を繰り返していくうちにだんだん飽きてしまうのです。一度こうだと話の着地点を決めてしまうと、それ以上になかなか探求心が続かないというか・・・。八神先生の場合、聞く度にお話が新鮮なのは、おそらく先生ご自身が法話する内容について、日々“問い”を持ちながら生活されておられたのではないかと思います。自分の話している内容にウソや誇張はないかを厳しく吟味しながら言葉を磨き続けていく・・・。そういう跡がお聞きしていて感じられました。なので、私は『宝林寺だより』などで八神先生を紹介する時は、敬意を表して勝手に「真宗法話界の人間国宝」と書いたりしてきました。

先生のご長男である、晃照寺のご住職に伺ったことによると、先生は毎年50ヶ寺を超えるお寺に法話に出向いておられたそうです。80才を過ぎてからは、県外など遠方への出講は控えるようにしておられたそうですが、それでも驚異的な件数です。春秋のお彼岸や11月、12月の報恩講の時期などは、ほぼ毎日予定が埋まっていたはずで、そんな生活を何十年も続けてこられたかと思うとほんとうに頭が下がります。急にキャンセルをすると相手に迷惑がかかるので健康管理にはよほど気を遣っていただろうと想像します。
また、大勢の方に対して仏法を語るという気力のいる仕事を続けられたのは、「このことを伝えなければ」という使命感や、身体の内面からあふれる意欲が尽きることがなかったということでしょう。

また、先生は書が得意で、若い頃は近所の子ども相手に書道教室をされていたそうですが、本堂に自筆の書が掲げられていました。お参りにみえる方へのメッセージであるとともに、先生がこのことを大事に日々過ごしておられたことが伺われます。


宝林寺での法話の中で、印象に残っているものとして、先生がまだ子どもだった頃の、先生のお父様とのやりとりについての話題がありました。すべての者を救う阿弥陀の本願について話された時に、「ただ五逆罪と正法を誹謗するものは除く」(*)という例外規定があるというお話の流れで、小学生の頃に、学校の授業参観で、たまたまお母さんではなく、月忌参りの途中だったのか、お寺さんの格好をしたままのお父様が教室に現れたことがあったのだそうです。先生は、友だちにその姿を見られたのがたまらなく恥ずかしかったので、学校から帰るなり、お父様に「もう二度と学校に来ないでくれ!」と猛烈に怒って抗議したのだそうです。

「結局、それを最後に、私の父親は二度と学校に来ることはなかったんです。なぜなら、その後じきに私の父は死んでしまったの。『五逆罪』というのは、何も手を掛けて首を絞めたり、刃物で刺したりして殺すことだけじゃないんですよ。私はあの時、心で父を殺してしまったんです。五逆の者とは私のことです」と話しておられたのを覚えています。それも一回だけではなく、何度もお聞きしたので、おそらく先生の心の中で、この出来事も仏法を聞いていく上での一つの契機となっていたのではないかと想像します。


また先生は、私たちは悩み苦しみとどのように付き合っていくかという課題について、親鸞聖人の次の和讃をよく紹介してお話しくださいました。

罪障功徳の体となる
こおりとみずのごとくにて (氷と水の如くにて)
こおりおおきにみずおおし (氷多きに水多し)
さわりおおきに徳おおし  (障り多きに徳多し) 【親鸞『高僧和讃』

「罪障」とは私たちが感じる「罪の意識」です。また「功徳」とは浄土真宗では「念仏」を指します。「念仏」とは直接的には、私がナムアミダブツと仏さまを呼ぶ声ですが、その声を自分の耳で聞く時には、「目覚めてくれよ!」という仏さまからの呼びかけとして受け止めていくものだと教わっています。

この和讃の心は、思いがけなく仏さまの呼びかけに気づくと、固い氷が解けて、どんな形にも変わることができる水になる。つまり「思い通りにいかない現実の中でも、自分に与えられた役目を、自分なりにやらせていただく勇気と意欲が与えられた」ということでしょう。氷の量が多ければ多いほど、解けた時には水の量が多くなるように、罪の自覚の深さはまた、仏さまが私を待ち続け、許し続けてくださっていた事への驚きとお詫びの心となり、そしてその分だけ意欲の量の豊富さとなって、現実の中へ一歩踏み出していく推進力となるのでしょう。


ご住職は「父は今年の夏以降、たくさん約束していた法話の予定を一通り断り終えると、急激に年老い、弱っていきました。それでも多くの方に出遇えて、お話しさせていただけたので幸せな人生だったと思います。」とおっしゃいました。88才まで仏法とともに歩み続けた八神先生の姿に、如来の激励の一つのあらわれを見る思いです。本当に長い間、ありがとうございました。                      (平成29年9月10日)

(*)「五逆罪」=①父を殺す、②母を殺す、③阿羅漢を殺す、④仏弟子の集まりを壊す、⑤仏の身体から血を流させるの五つです。
晃照寺さんの本堂に貼ってあった善導大師の「二河白道」の絵。人間の生き様をあらわしています。
門前の掲示板の言葉。帰り際に気づいたのですが、まるで八神先生の最後の置き土産のようで、ちょっと笑ってしまいました。
19年4月の永代経法要の八神先生のご法話の一部です。
21年4月の永代経法要の八神先生のご法話の一部です。

新企画案についてのアンケート結果   

宝林寺では、今後取り組んでいきたい新企画について、皆さんからご意見をお聞かせいただくため、以下のようなアンケートを作り回答をお願いしました。
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ご法事や、七日参りのおりに20代~40代くらいの方に直接アンケートの記入をお願いして協力いただいた他、会合に集まっていただいた寺の役職者の皆さん、また町内の壇信徒の皆さんには、班長さんを通じて回覧板で回答を取りまとめていただきました。
全部で250枚ほど用紙を配布しましたが、113件の回答をいただくことができました。ご協力いただいた皆さまに御礼申し上げます。



アンケートの趣旨からすれば、回答者はなるべく若い方にお願いした方が良かったかもしれませんが、寺の回覧板を使って回答をお願いしたため、いつも寺に接する窓口となっていただいている比較的高齢の方の回答が多くなっています。
そこで、便宜上、3つの企画案についての回答者を20代~50代の男女と60代以上の男女の4つのグループに分けて 見ていくことにします。



婚活問題については、対象者が限られるため、結婚を真剣に考えている層とその親御さんは積極的に参加の意思を示して下さっていますが、既婚者などは全く興味を示しておらず、これはある程度予想をしていたことです。未婚の方と結婚について話をすると「私は一生独身でやっていくんだ」と覚悟を決めているわけではなく、出会いがないまま気がつけば40代を迎えてしまったという方も多いようです。昔のような世話焼きおばさんも存在しない以上、寺を舞台にした婚活は有力な出会いの手段となると思います。



現在の葬儀の傾向として、家族葬などなるべく小規模で、煩わしくない葬儀が好まれているという風潮があります。昔と違い隣近所もほとんどお手伝いすることもないので、会葬自体を辞退してもらうよう申し入れる場合もあるようです。しかし、身内の死は家族だけのものではないはずです。喪主が知らないだけで、故人がこれまで築いてきた繋がりや物語があるわけで、それらに触れることによって、今まで知らなかった縁の掛け替えなさに気づく機会でもあります。仏教で葬儀を勤める意義の一つは、そういう縁を実感することと言えるかもしれません。誰にも必ず訪れる死の問題を、まだ余裕のある時に考えてみる必要があるのではないでしょうか。金額や負担軽減も大事ですが、何より「このやり方でやってよかった」といえるような本当に満足のいく葬儀を共に考えていきたいと思います。



いちばん間口が広く、だれでも参加しやすいのがマルシェでしょう。男性よりも女性の支持が高いのも特徴的です。最近はいろんな団体がマルシェを企画しているので、情報収集はしやすいと思います。駅から遠いという宝林寺の立地条件でも可能かどうか探ってみる必要がありそうです。寺でやるなら行事と絡めるのではなく、お彼岸など多くの人が自然とお寺(お墓)にお参りしようというタイミングがいいと思います。エンディング企画も同様でしょう。

 

エンディング企画は男性、マルシェは女性が興味を持っている方が多いという結果です。縁結びは4つのグループとも興味を持っている方は少数ですが、結婚問題の対象者やその家族にとっては切実な問題です。壇信徒の皆さんの家の存続は寺にとっても大いに関係があるので、寺のネットワークと信頼をベースにして、早急に実現したいと思っています。
もう一つ気になるのは、高齢者のグループの「どれも魅力を感じない」という回答が男性で36%、女性で20%もあることです。婚活やマルシェはともかく、エンディングには自分の最期をどう迎えるか考えたり、相続などの行政の手続きのことも関係してくるので、関心がないとも言っていられない問題です。あるいは、死のことを考えるなんて縁起でもない(本来の仏教用語の使い方ではありません)ということでしょうか。

《記述式の回答欄》 
3つの企画案について、どれがいちばん魅力を感じるか(又は、どれも魅力を感じない)を選択し、その理由について自由に書いていただきました。

・【どれも魅力を感じない】本来やるべき方向性がちがうと思います。(50代)
・【どれも魅力を感じない】参加する時間がないと思う(60代・女)
・【どれも魅力を感じない】上記項目は行政やっている!(60代・男)
・【エンディング】私たちのような老人の意見ではなく若者の意見を重視された方が良い(70代・女)
・【どれも魅力を感じない】年齢もきているので協力出来ない様に思います(70代・女)
・【マルシェ】私が子供の頃は、お寺で書道を教えて頂きましたし、母は、漬物や昔料理等皆さんで楽しんでいた様子でした。それが当たり前の事と感じていました。何か切っ掛けがないとお寺は行きにくい所のように感じます。(60代・女)
・【マルシェ】小さい頃からお寺に行く事があまりなかったのでピーンときませんが、マルシェは良いと思います。お店も減り、マルシェのような事があれば人とのつながりなどもできてくる!!
・【縁結び】独身者が多い最近の世想だけに(ママ)一組でも結婚される機会を設けることは良いことだとおもいます(70代・女)
・【マルシェ】お寺に多くの人が集まるので、お寺が一つのサロンになると思います。(60代・男)
・【エンディング】自分の年齢から一番関係が深い内容と思われるから。本堂で手をあわせる事(一人で)だけでもお寺の意味はあると思っております。時に鍵がかかっており入れない時は寂しく思います。(50代・女)
・【エンディング】身内の死以降分からない事ばかりなので、専門家に聞いてみたいです。(60代・女)
・【エンディング】葬儀式、法事などの内容を詳しく知っておきたいと思いました。(50代・女)
・【マルシェ】身近なところでコンサート等が楽しめる事などが良いなあと思いました。(60代・女)
・【どれも魅力を感じない】全体に現代の傾向ではあるがみんなの意識が当地でははっきりしていないと思います。(70代・男)
・【マルシェ】A、B案が良い企画だと思いますが、関係のある人が1度か2度お寺へ来るくらいで終わってしまうと思います。C案のようにお寺の行事に関係なくいろいろな行事を企画して老若男女の人々にまずお寺に何度も足を運んでもらう所から始めて、お寺に慣れてもらえばお寺に来やすくなると思います。それからA案、B案も企画していけば良いお付き合いが出来てくるのではないでしょうか。(60代・女)
・【エンディング】年代的に終活という言葉に興味を感じます。身近な所でいろいろな情報や知識が得られるのならばよい機会と思います。(50代・女)
・【どれも魅力を感じない】どれもあまり興味がないです。(60代・女)
・【マルシェ】少し興味があったから。(30代・女)
・【どれも魅力を感じない】担当者を選ぶことが大変(60代・男)
・【マルシェ】一番気軽に参加できると思う。(50代・女)
・【エンディング】エンディングを考える年になりました。(60代・男)
・【どれも魅力を感じない】お寺でやる事で無い
・【エンディング】葬儀式の最近のやりかたなど。(60代・女)
・内容がよくわからないので答えられません。(70代・女)
・【どれも魅力を感じない】今後お寺は余り利用されなくなると思います。家族葬が多くなり寺は不用になると思う。(70代・男)
・【縁結び】仏様の御前でお出合い出来る企画がなされれば、若い方もキッカケが出来ることもよいと思われます。合掌(70代・女)
・【どれも魅力を感じない】興味がないから。(50代・男)
・【マルシェ】各家庭には、ガラクタと家族が評価する物(本含む)が山積みされている。一部の他人から見れば欲しいと思う物(本含む)があるかもしれない。お寺の隅に陳列棚(コーナー)を設けて廃品利用、有効利用を考えたらどうか。世話当番を決めるだけでもお寺への訪問者は多くなると思う。(70代・男)
・【マルシェ】お寺の本堂を利用しての映画会(勉強になるような)等、期待しております。(40代・女)
・【縁結び】若い人の仲介で縁があれば繁栄(人口増)につながる(60代・男)
・【縁結び】和泉の寺でやってみえるので近くの当寺も良いと思います。(60代・女)
・【どれも魅力を感じない】お寺なので、できれば、仏教のこととか素直に勉強したいと思います。難しい言葉ではなく、たとえば、永代供養、納骨、などなどわからないことが多くて、お茶会とか気の合う人と集まりながら相談したい。エンディング博覧会よりもエンディングを考える会の方が良いのでは?(50代・女)
・【マルシェ】音楽が好きで、養護老人ホーム、デイサービスでサックスによる音楽療法のボランティアをやっています。お寺では文化的な活動を積極的にやっていただきたいと思っています。鈴木君代さんなんかも呼んでもらえたら・・・。(60代・男)
・【エンディング】最近、肉親を見送り、葬儀のことに興味を覚えたからです。(50代・男)
・【マルシェ】学区に住む外国人の人にその国の料理を学びながら交流を深めるイベント。 ・根崎の歴史講座 ・仏像をデッサンしよう!の会など(40代・女)
・【マルシェ】お寺としてはエンディング博覧会がよさそうですが、身近に楽しそうなのはお寺でマルシェかなと思いました。(40代・女)
・【エンディング】普段なんとなくこなしている葬儀を一つ一つの意味を知ることで気持ちや受け方が変わると思う。葬儀の業者に関しても弔いのプロからの説明を受けることで意味を深く理解できると考えました。(30代・女)
・【マルシェ】いろいろな年代、男女問わず参加できる企画が良いと思ったため。(30代・女)
・【マルシェ】手作りアクセサリーやケーキなどが売っていたら楽しそう(30代・女)
・【マルシェ】一番楽しそうで、現実的かなと感じたから。ハンドメイドのお店なども面白そうだったから。(40代・女)
・【エンディング】自分の親や嫁ぎ先とあまり話せない核家族の方など、基本的なことから知らないと思うので、知る機会の一つになるのでは。マルシェは単純に楽しめると思います。(40代・女)
・【マルシェ】ハンドメイドに興味があるから。手作りアクセサリー等、機会があれば作ってみたいと思う。(20代・女)
・【縁結び】自分の周りにも必要だと思う人が多数いるので。(30代・男)
・【縁結び】街コンより安心感があるので。寺コン♬(30代・女)
・【エンディング】終活等、わからない事多々あるので、聞いてみたい内容ではあると思います。(40代・男)
・【エンディング】わからない事が多いので聞けるチャンスがあると助かる。(40代・女)
・【エンディング】将来的に不安があるから。(40代・男)
・【エンディング】終活の時になってきたから(60代・男)
・【エンディング】今一番身近である為(70代・男)
・【どれも魅力を感じない】自分に縁がないイベントだと思いました。(60代・男)
・【マルシェ】楽しそうだから。(60代・女)
・【マルシェ】いろいろな趣味の人と出会えて楽しそう。(70代・男)
・【エンディング】自分の現在の環境に一番身近な題材のため。(60代・男)
・【エンディング】遠くないうちに必要になるとも考えられる。(60代・男)
・【エンディング】自分自身ではよく解らない事が多いので色々と勉強会を開いてください。(70代・男)
・【縁結び】婚活したいからです。(20代・女)
・【エンディング】この先、何が起こるかわからないので、知っておけることは知っておきたい。(30代・男)
・【マルシェ】大道芸(50代・男)
・【エンディング】先祖があって今の自分がある、先祖に感謝できるように(60代・女)

いろいろなご意見がありましたが、意外にも年配者よりも40代以下の年齢層の方が前向きというか、建設的な意見を出してくれていると感じました。また仏教について基本的なことから学びたいという意見も少数ですがありました。現在もお寺のメインの行事は真宗の教えを弘めることですが、昔ながらの方法が時代に合わなくなって来ているのは感じています。開催する曜日や時間帯なども再検討する必要がありそうです。
なげやりな意見は高齢者のグループから出ている場合が多いです。お寺には何も期待していないという感じです。義務的につきあってはきたけれども、これまで寺とあまり良い関係性を持ててなかったという事かもしれません。申し訳ないことです。
また、先日の共同学習会の参加を呼び掛けたある方から、「企画の内容(新美南吉について)は興味あるけど、喜んで参加しているとお寺よりだと思われて、次の選挙で役に落とされるから」という事をいわれました。正直な意見ですが、一生懸命企画を考えている方としては少し残念な気がしました。

アンケートを踏まえ、寺に期待することをキーワードで抽出すると、「安心感・学び・出会い・楽しみ」という言葉が浮かんでくるように思います。この中で、これまで全くといっていいほど考えていなかったのは「楽しみ」という要素です。皆さんから昔の報恩講の賑わいの話を聞かされることがたまにありますが、「お寺に行くのが楽しみだった」、「参道に出店が出ていた」、「お嫁さんが町内にデビューするお披露目の機会だった」などと聞くと、「当時は他に娯楽がなかったから」などと思っていました。
しかし、調べてみると現在でも独自の工夫で賑わいを保っているお寺も少なからずあります。やたらに人を寄せればいいというものでもありませんが、あらゆる手段を用いて仏法を伝え、地域社会に貢献し、いかに存在感を示していけるかがこれからの寺の存続に関わってくるように思います。その中で、これまで寺に縁のなかった方々にも間口を広げるという意味に於いて、取っつき易さや「楽しみ」という要素も、おそらく重要な要素となっていくだろうと感じています。(平成28年11月2日)

寺婚(てらこん)

「生涯未婚率」という言葉をご存じでしょうか。日本政府が出している人口の統計の一つです。若者の晩婚化・非婚化を裏付ける証拠として最近メディアでよく取り上げられています。その内容は50歳の時点で1度も結婚したことがない人の割合で、平成22年で男性は20.1%、女性も10.6%で、今後はその割合がもっと増えるとの予想もされています。(内閣府男女共同参画局)

これは、驚くべき数値で、男性で5人に1人、女性でも10人に1人が一度も結婚せずに一生を過ごすということを表しています。50歳過ぎても結婚する人もあるじゃないかと思われるかもしれませんが、現実は厳しくて、数で言えばそういう人は1,000人に1人なので誤差の範囲なのだそうです。

実際、私の周りを見ても男女とも適齢期といわれる方で未婚の方も少なくありませんし、「ご院さん、うちの息子(娘)に良い相手はないですか」と聞かれることもしばしばです。しかし、「じゃあ、あそこの娘さんも確か独身だったから私が聞いてあげましょう」とは私も言えないわけです。

昔のようにお見合いが当たり前だった時代なら、「断る場合もあるし、断られる場合もあるんだから会うだけあってみるか」ということもあったかもしれませんが、私も結婚が遅かったのでよく分かるのですが、今の人はそういう軽い(?)気持ちではお見合いできないのです。「間に立ってくれた方のメンツをつぶすのは心苦しいし、相手の写真を見て断るのも失礼だから見せないでくれ」という気持ちでした。

行政が主催の街婚や、大手結婚情報センターなどもありますが、参加した方の話では、サクラがいたり入会金が莫大にかかったりとリスクが高いと感じている方も多いと聞きます。
そこで、お寺を舞台にした婚活、名付けて「寺婚」 です。昨年、「羽鳥慎一のモーニングバード」でも取り上げられていたのでご覧になった方もあるかもしれませんが、浜松市の臨済宗のお寺のグループで既に80組を成婚させた実績があるそうです。

なぜそんなに結婚できるのかというと、主催者側が結婚相手の仲介で金儲けをする意思がないので、参加費が安いことと、お寺色を全面に押し出した内容と、履歴書を本人が寺に直接持参するという形をとっているので、参加者が結婚に対し真面目で落ち着いた人が集まりやすいのではないかといわれていました。実際、一緒におつとめをしたり、お坊さんのお話を聞くという時間も設けられていました。また寺という場所に対する信頼がまだまだ大きいということもあるようです。和泉町の本龍寺さんでも数年前から寺婚を始め、すでに何組か結婚にいたっているそうです。

檀家さんの家が次世代へ継続していっていただけるかどうかは、お寺の運営にも影響があります。寺離れ、葬式離れが喧伝される現代、お寺だからこそ出来る地域貢献を考えた時、ご縁づくりのお手伝いとして寺婚ほど求められている企画はないのではないかと思います。お参り先や仲間の若手住職にも話をすると、とても反応が良く「早く実現して欲しい」、「一緒にやりましょう」との声をいただきます。

先行事例を参考に、宝林寺ではどういう形ならできるかよく研究して、ぜひ実現したいと思っています。

皆さんのご意見をお待ちしています。
(平成28年7月9日(土))
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