三、信心の行者のしるし(第七章を中心として)

1,外道鬼神を見破る力

大谷専修学院 竹中智秀院長 【歎異抄講義】⑦

成仏道の歩みにおいては、出離生死(しゅっりしょうじ)の問題がいつでも中心となってくる。生まれた者は必ず死んでゆく。それは誰も否定できない。何故ならそれは事実であり、道理であるから。しかし我々の思い、自我意識は自身に頓着するため、それはそうだけれどもとしながら、どうしてもその死を受け入れられない。そのため死の恐れから発狂することもある。それほど我々の無明煩悩は深い。吉凶禍福に迷う者にとって、死は不吉そのものである。そのため長生不死を願望することになる。

柳田国男は、「神道は死を穢れ(ケガレ)として忌む」としている。事実、「死」は忌み言葉として禁句とされてもいる。外道そのものである。命は誰においても生死する命であり、生死一如の命である。しかし我々の自我意識においては、生は良しとして受け入れるが、死は悪(あ)しとして受け入れられない。そのため生死は矛盾してしまう。この問題をどう解決するのか、このことが仏道における根本問題となってくる。

このことは、ただ生と死の問題に限らないで、我々において「こうしたい」という思いと、「そうならない」という現実との間にある、その矛盾をも全て生死の問題として成仏道に関わる問題とされてきている。その問題が解決しない限り、我々はほんとうに安心できないからである。

実はこの生死の問題の解決に関して、その一つとして「どうすれば」というHOW TO方式がある。それはまず、一、自分自身の実力を蓄え、自分の思いが叶うように現実を変えていこうとする。この場合は、やがてということであって、未来にそうなることを信じてやっていくことになる。しかし必ずそうなると言い切れないため、いつでも不安が残ってしまう。自力作善の人の問題もここにあった。

さらに、二、として、絶対的な権威なり権力なりを持つ生き神とか生き仏とかの絶対者を立てて、そのものとの関係において現実が自分の思いに叶うようにになることを期待している。この場合は、その絶対者の力を信ずることだけが自分を安心させることになる。もし不審があれば、たちまち不安になってしまう。そのため狂信的になりがちである。親鸞聖人は、そういう生き神とか、生き仏とか、我々の運命を左右する力を持つと信じられている絶対者を「鬼神」とされ、鬼神の言葉を信ずれば、信じた者がその鬼神の奴隷にされてしまうと批判されている。

さらに聖人は、鬼神について、冥衆(みょうしゅう=目に見えない形)としての鬼神と、顕衆(けんしゅう=目に見える形)としての鬼神を見出し、厳しく批判されている。冥衆としての鬼神は、冥界・魔界を支配する天神地祇(てんじんぢぎ)とか、五道の冥官とかである。顕衆としての鬼神とは、絶対的な政治力、経済力を持つ支配者とか権力者のことである。聖人は「余のひと」(守護・地頭・名主)として示されている。しかしこれらの鬼神の問題は、聖人においては、そういう外なる鬼神とその鬼神を生み出す我々の内なる鬼神をも徹底して批判されている。

三、として、自分の思うようにならない現実の中で、すべてを諦めて絶望的に生きてしまう。この場合は生きながら死人になってしまうことであるから、どのような矛盾も自分で消していくことになる。さらに最後に、四、自殺することである。この場合は自分の思うようにならない現実を、自殺することによって拒否し、自分の思いを通そうとする。

これらの「どうすれば」というHOW TO方式による解決方法は、我々の思い、自我意識を大前提にして現実を変え、その矛盾をなくそうとすることである。しかしそれは、現実を受け入れていないため、どうしてみても現実に心を閉ざしたまま、思いの中だけの幻想になってしまう。このことは仏によって「蠶蚕自縛(さんけんじばく)」として示されている。蚕(かいこ)は口から糸を吐いて自分自身のまわりに繭(まゆ)を作り上げ、その繭の中で自分を閉じ込めながらサナギに変身していく。そのことに喩えているのである。我々の生死の中での生活は、そのようになっていると教え、それが三界六道の世界として示されている。

この世界からどう出離して、今・ここの現実に立ち返り、この現実を生きることになるのか。その我々の問題に対して、仏は出離生死の道として、どうすればというHOW TO方式とは異なる、なぜそうなるのか、その因を問うWHY方式を示して、その生死の問題、矛盾の問題の解決を示されている。それがいつでも大前提となっている。その自我意識こそ問題ありとして問い、その自我意識を離れさせ、生死を平等に受け入れることのできる如来の智慧を、我々に「信心」として与えることによって助けようとされている。

《平成6年(1994年)5月30日》

2,疑情を見破る力 ― 如来の誓願は真実である。けれども… から、だからこそ… へとの転成

大谷専修学院 竹中智秀院長 【歎異抄講義】⑧

我々は二度誕生すると言われる。そのことは三帰依文に、1、人身(にんじん)・・・今すでに受く。2,仏法・・・今すでに聞く、として示されている。一度目の誕生は人身を受ける時である。母の胎内より生まれて、その身とその世界とを持った時である。しかし我々は自我意識が芽生えることによって、その身と世界とを自己中心的に善し悪しと分別しはじめ、えらび・きらい・見捨てることが起きてくる。そのため蠶蚕自縛(さんけんじばく)の喩えのように我々は生死の世界をつくり出すことになってしまう。

このことは胞胎(ほうたい)に包まれて生まれている状態として示されてもいる。確かに今日まで生きてくる中でいろんな体験ををしてきた。悲しいこと(愛別離苦)、辛いこと(怨憎会苦)がある都度、その現実を受け入れられないで胞胎ができやすくなっている。現に今も胞胎ができている事実があるに違いないだろう。我々、自我意識をもつ者の作り出す、この胞胎を破るものこそが仏法である。

その仏法を、「今すでに聞く」と言える時が二度目の誕生である。その時はじめて、その身と世界とをそのまま受け止めて生きることになる。実は我々の胞胎を破り、我々を生死の世界から出離させる仏法は伝統的に、苦集滅道(くじゅうめつどう)の四聖諦(ししょうたい)の教えとして実践的に示されている。それは世間のHOW TO方式とは違って、なぜ生死なのかと、その因を徹底して問い、明らかにするWHY方式である。苦・集は生死の果と因を示し、滅・道は涅槃の果と因を示す。聖人はこの四聖諦にしたがって、本願念仏の仏法を、苦は「生死輪転の家」をもって示し、集は「疑情」をもって示し、滅は「寂静無為の楽(みやこ)」をもって示し、道は「信心」をもって示されている。

我々は如来の善悪浄穢(ぜんまくじょうえ)を、えらばず・きらわず・みすてずと約束される、その誓願を聞けば、「それは真実である」と思う。しかし我々はお互いにいつも、えらび・きらい・みすてあうという体験しか知らない。そのため「如来の誓願は真実であるけれども、そういうことはあり得ないのではないか」と結局は誓願を疑うことになってしまう。だから自我意識を中心とした立場は元のままで、胞胎は破れない。我々のその疑情こそが、生死輪転の家を出離させない因である。その疑情を破るのが、実は念仏を相続する信心の行者の苦労である。

聖人に

弥陀観音大勢至
大願のふねに乗じてぞ
生死のうみにうかみつつ
有情をよぼうてのせたまう

の和讃がある。聖人が観音とか、勢至とか語られる時、具体的に「いなかの人々」とか、恵信尼とか、法然上人とか、多くの念仏者たちがそこにはおられる。

観音とは、永遠に母なるものの象徴である。えらばず・きらわず・みすてず我々をそのまま受け入れてくれる念仏者のことである。我々はその観音との出遇いによって胞胎は自然に破れて、我々も受け入れることのできなかった我が身を素直にそのまま受け入れられる光明体験をすることなる。しかしそれは、いつでもどこでもということではない。観音と共にある時に限る。なぜなら胞胎が自覚的に破られていないためである。だから我々自身の中に誓願を信じ、念仏申す信心が新しい我として生まれる時を待たねばならない。

実は胞胎を破るのが我々に徹底して念仏を勧める、永遠に父なる者の象徴とされている勢至菩薩である。この観音・勢至を母とし、父として我々の中に信心が新しい我として生まれる時こそ、「仏法すでに聞く」時である。その時、誓願は真実である。世間は確かにそれぞれの都合でえらび・きらい・みすてあっている。だからこそ誓願を信じ、その誓願の真実を世間のただ中で証明していこうと決断できた。その時胞胎は破られ、我々ははじめて我が身と世界とをそのまま受け止めて生きることができることになる。

その時我々は、いま・ここで、自分自身の本当にしたい事、本当にしなければならない事、本当にできる事をよく確かめ、そのことを自分自身の願いとして、その願いを実現するため、他人と比べず、焦らず、諦めず、本当に始めることになる。

そうは言っても我々の根深い自我意識は、いつでも顔を出してくる。その時こそ、観音・勢至を思い起こし、南無阿弥陀仏と称名念仏して、常に信心の行者に立ち返って、「これこそ我が命」と言える、その自分自身の願いを実現するため、おおいに苦労していく勇気が与えられるに違いない。

《平成6年(1994年)6月6日》

3,我々は誰なのか

大谷専修学院 竹中智秀院長 【歎異抄講義】⑨

今、ここ学院に身を置いている我々にとって、本当にしたい事、本当にしなければならない事、本当にできる事は何なのであろうか。それは言うまでもなく、1,仏弟子となり聖人と同一の信心を得て、信心の行者、念仏者になることである。それと同時に、2,大谷派の僧となり、教師となって、その使命を果たしていくことにある。私は、1,を自覚的身体と呼び、2,を社会的身体と呼んでいる。この二つは決して別々にあることではない。

現場に出て、すぐ教師として生活をする人もあるだろうし、またやがてそうする人もあるだろう。しかし現在はその二つのことに尽きている。なぜそうするのかと言えば、如来・聖人の弟子となって、南無阿弥陀仏と念仏申して、如来・聖人の示される摂取不捨の大慈悲心を学び、その大慈悲心をいつでも思い起こして生活することだけが、どのような時も心が安らぎ、絶望しないで生活できるからである。またそうする事によって、我々自身の内からも、たとえ世界中の人々が、この私をみすてても、私は私をみすてることは出来ないと言い切り、自分自身を尊敬し愛する事のできる新しい我が、信心の我として誕生し、名告り出ることになるからである。

聖人は、承元の法難の時、処刑されている。その時まで聖人は、仏弟子の自覚を、僧として名告られていた。しかし国家権力によって処刑され、僧と言っても政治によって作られた身分を示す名にすぎないことを思い知らされている。

聖人当時もそうであるのだが、特に江戸時代の身分制度は、いちばん基礎に僧=出家者=寺社身分と、俗=在家者=一般身分とに分けられていて、その俗身分がさらに士・農・工・商・エタ・ヒニンと差別的に分けられていた。正式に僧となる時は、その俗身分が消されていた。しかし僧として過失があれば、その罰として僧の身分が消され、元の俗身分に還俗させられていた。それは聖人当時と同じであった。聖人はその事実を承元の法難の時に知られ、それより後は仏弟子としての自覚を「非僧非俗愚禿釋親鸞」として示し、名告られている。日本人としては最初である。その名告りがその後、浄土真宗の門徒のしるしとなっている。

「非僧非俗」とは、政治によって作られた社会的身体として、身分としての僧の否定であり、俗の否定である。「愚禿」とは、仏法によって自分自身が煩悩具足の凡夫であることを教えられ、知らされ、その自覚を示されているのである。「釋」とは、その凡夫を助けんとされる如来の誓願を信じて生きる信心の行者、念仏者であることを示されているのである。この非僧非俗愚禿釋親鸞の名告りこそ、仏弟子としての自覚的な名告りである。我々も如来・聖人の弟子として、そのように名告れる者になっていく責任がある。それが我々の本当にしたい事であり、しなければならない事であり、できる事なのである。なぜなら、そのことを我々の命そのものが願っている事であるから。

それと同時に社会的身体として、大谷派の僧となり教師となっていく責任がある。実は、この僧も教師も自覚的身体がはっきりしないと、いつでも身分的なものになってしまう。そういう体質を我々自身が持っている。なぜなら今日の寺壇関係は江戸幕府がキリシタン禁制のためにとった宗教政策であったからである。

そのため、1,神国を邪教キリシタンから守る事。2,死後おかみそりを与え、戒名を授ける事。3,死者を先祖として先祖祀りをつとめる事が中心となっていた。だから民衆にとって仏教との関係は、1,自分自身が仏弟子となるのは、死んでいく時。2,生きている時は死んでいった者を先祖として祀り上げる仏事をつとめる事となっていて、一人ひとりが仏弟子となる事に中心はない。僧といっても身分としての僧であり、死者との関係が中心である。仏事といっても葬送儀礼が中心となっていた。そのため僧は、死者を往生させ成仏させる特別な権威と能力を持つ者として畏敬されていた。しかし反面、僧は死者に縁を持つ触穢(しょくえ)として忌避されてもいた。

この問題は我々自身の内にも、その世間が生きていて、自分自身が僧になろうと願いを立てる中で、仏弟子としての僧が曖昧になると、身分としての僧だけが問題となってしまう。その時、自分自身がなろうとする僧を、自分自身で忌避するという自己矛盾を起こしてしまう。

だからこそ大事なことは、仏弟子となることと、身分としてではなく、職分としての僧になっていくことが決して別々でないこと。そのことだけが自信を持って僧としての、教師としての職分を果たしていくことになる。
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