大谷専修学院 竹中智秀院長 【歎異抄講義】⑩
日本人は、仏事をつとめるという形で仏教を生活化している。しかしその仏事にはまったく意味を異にする二つの仏事の伝承がある。そのことがはっきりしたのは、法然上人が亡くなった後、「世間で行われている追善供養としての仏事は行う必要はない。どうしても仏事をつとめたいということであれば、報恩として念仏相続の仏事をつとめるように」と遺言されたことによる。
まず追善供養としての仏事のことである。それは源信僧都の当時より、浄土で再会しようと約束しあい、「私が浄土に往生したら皆さんを浄土に引接(いんじょう)しよう。もし悪趣へ落ちたら皆さんの力で私を助けてほしい」と念仏講を作ってお互いに念仏に親しみ、交わりを深め合っていた。そのためお互いに臨終がどうであったのかを過去帳に記録して、その死によう次第で追善の懇疎を決めていた。そのことが追善供養としての仏事を根付かせていく縁ともなっている。
そのこととも関係して、民間にも「十五仏事」といって七・七日(中陰)、百ヶ日、一年、三年、七年、十三年、十七年、二十五年、三十三年といった仏事が早くからつとめられるようになっている。その仏事は四有説により、実は偽経『仏説地蔵菩薩発心因縁十王経』を中心に意味づけられ、今日まで伝承されてきている。四有説とは、我々いのちある者の存在のしかたについて、生有(しょうう)・本有(ほんう)・死有(しう)・中有(ちゅうう)を説くものである。
生有とは、母胎に宿った命が、胎外に生まれ出る時をいう。本有とは、生まれた命が生きてやがて死にいたるまでの間をいう。死有とは、最期の息が切れる時をいう。中有とは、息が切れて、その死体を離れ出た霊魂が再び母胎に宿り、命を得るまでの間をいう。その中有の間を、七・七 四十九日といわれ、その間こそ死者が十王たちによって生前の罪業の軽重が裁断され、その転生していくべき生処が決定する間とされている。
その十王については、七・七日、百ヶ日、一年、三年、の十仏事にそれぞれ配当されている。死者は閻魔王(五七日)に代表される十王の元で、具体的に殺生、偸盗(ちゅうとう)、邪淫、妄語などの罪業の軽重が裁断されるとされている。親鸞聖人の頃もそうであるが、覚如上人の当時、親鸞聖人の流れを汲む人たちが信心を問題にしないで没後葬礼のことばかりにかかり果てている事実があったようだ。(『改邪鈔』)
また逆に世間では、「念仏者たちは人が死んだ後どうなるのか、地獄のこと、浄土のことについて教えないのは邪見の極まりである」といった批判が事実あったようだ。そのように常に人の死にようとか死後のことが云々され、追善供養としての仏事が盛んに行われてきている。これらは全て十王経信仰を中心としたものである。
それを正面きって批判しているのは存覚上人の『至道鈔』である。そこでは「信心を得る時往生は定まるのであるから、信心の行者は十王の前に至るべきにあらず」といわれ、「地獄に落つる人と浄土に往生する人とは中有の位を経ず」と言い切られている。だから六道を輪廻し転生することはない。
しかし信心が問題になっていない人にとっては追善供養としての仏事は、結局のところ、日本人の持つ霊魂観、先祖観、他界観などと密接に関係しあいながら民間に習俗となって定着しているものであるから、無視すれば仲間はずれにされてしまう。我々も職分としての僧として、直接門徒の仏事に関わるわけである。現在でも無自覚的ではあるが、十王経信仰を前提とした追善供養が盛んに行われている。
その実態をよく知り、よく見極め、門徒の仏事として伝承されている報恩としての念仏相続としての仏事のあり方をよく知った上で、追善としての仏事の現場を、報恩としての仏事に転成していく大きな縁としていく責任がある。
《平成6年(1994年)6月20日》