七、回心と転入

1,「何をなすか」と「如何になすか」との問題

大谷専修学院 竹中智秀院長 【歎異抄講義】㉑

学院祭も終わり、学院生活もいよいよ後半である。卒業できる・できないは、まだ誰も決まっていない。だから声を掛けあって一人も脱落しないで一緒に卒業の日を迎えたい。

そこで卒業できれば、皆は、1,自分の寺へすぐ帰って A,寺の仕事に専念してやっていく。 B,兼職しながらやっていく。 2,自分の寺ではなく何処かの寺、あるいは宗務所・別院等でやっていく。3,一般の就職をし、やがて、 A,いつか自分の寺へ帰ってやっていく。 B,縁があれば何処かの寺へ入寺してやってゆく。 4,進学する。A,大学。B,別科。C,その他。どういうふうに考えているだろうか。ミーティングの時に話し合ってほしい。

世間は不況で、就職活動が思わしくないようだ。皆も苦労することだろう。しかし現に今、学院に身を置いている事実がある。このことは真宗精神を体得して、具体的には、1,僧(=仏弟子)となって仕事をしていくことを願っているからである。そこには、「何をなすか」という、一生を通しての仕事と生活との問題があってのことである。

それと同時に、2,仏弟子(=僧)として、どのような生活をすることになっても、いつでも本願念仏の仏法によって生きる念仏者になりたいと願っているからである。そこには「如何になすか」という、どう生きることが真実に生きることになるかを問うということがあってのことである。

今日まで学院生活をして来て、あらためてなぜ自分自身が、今ここに身を置いているのかを問う時、自分自身の願いが明らかになり、その願いを実現する場となり生活となっているだろうか。自問自答もし、お互いに問題にしあってほしい。

A、B両君のことが思い出される。 A君は小学生の時から学校の先生に憧れ、教師になるために苦労して大学を卒業した。しかし先生となって仕事をする現場が決まらないまま、スーパーの店員として働きつづけた。スーパーで仕事をしながら、「ここではない。こういう私は私の願った私ではない」と言いながら、現にいまスーパーで仕事をしていながら、その自分を自分として認められないで嫌い、拒否しつづけた。そのため、自分が自分になれなくなり、虚しさの中で遂に自殺してしまった。

B君は、「どういう仕事をしているのか」と聞いた時、「工場でベルトコンベアーに乗って流れてくる部品に手を加える仕事をしている」とのことだった。その時、「ロボットの方がまともな仕事をしています」と言い、「仕事中は人間であることをやめて物になっているんです」とも言った。また「仕事が終わってから、人間であることを取り戻そうとすると、どうしても酒とかギャンブルとか等々の快楽を求めてしまう。それは身体が要求するんです」とも言った。結局、人間であることをやめて手に入れた金が、あっという間に無くなり、生活を荒れさせてしまっていた。

A,B両君に共通しているのは、1,今・ここの自分自身を自分とできなかったことである。そのことからA君は、2,自分自身を直接殺してしまい、B君は、3,間接に自分自身を殺していったことである。現代は、このA君B君が満ち溢れている時代である。それは、A君B君の個人の問題ではなく、社会構造そのものの問題でもある。

しかし、この自分自身を自分とできないと、結局は自分で自分を殺してしまう。この問題をどう解決できるのか。我々が本願念仏の仏法によって明らかにしようとしている真宗精神には、この問題を解決する力がある。だから我々の学びは単に個人的なことではない。彼等の救いの問題とも直結している。

我々は生きることを深く問題にする時、いつでも「何をなすか」という問題と、「如何になすか」という問題があることを知る。「何をなすか」とは、「世間の中で、どういう仕事をして生活していくのか」この問題と関係してくる。その時は必ず、1,「あなたは何ができるか」とその専門を問い、技術を問い、さらに、2,「資格があるか」とその資格を問い、さらに、3,「経験年数は」とその熟練度を問われることになる。それによって評価が決まり、その現場で間に合う・間に合わないを云々しながら、必要とするとかしないとかが決められていく。しかもそのことによって、その者の人間としての存在全体が否定されてしまうことすらある。それこそ人権に関わる差別問題である。

そのような世間の中で生活をしていると、自分自身までが、そのように思ってしまって、自分自身に対し、他者に対してそのように徹底した差別を加えてしまうことになってゆく。それが自分自身を殺していくことになる。

かつて小学生の意識調査の中で、「死にたいと思ったことがあるか」の問いに、32%の小学生が「死にたいと思ったことがある」と答えていた。その背景に「僕がいてもいなくても同じではないか」という思いがあるという。小学生たちは、自分自身の存在理由、存在根拠が成り立たないのである。そのため追い詰められた思いの中で「死にたい」と思っているのである。ただ世間の中で、間に合う者だけがやっと存在理由、存在根拠を与えられていくという、そういう社会構造が極端に進んできている。

そういう世間の中で、「何をなすか」だけが全てではなく、「如何になすか」という我々の生きることに関して、重大な意味を持つ生き方があることを問い続ける伝統がある。それが本願念仏の仏法に帰依して生きる念仏者としての生き方である。

それは、「我は如来を信ず」と言い切って生きる生き方である。如来はこの私の存在を必要とされている。そのことを信ずるのである。そのことが、どのような状況の中にあっても、自分をも、また他者をも見捨てないで、差別しないで尊重して共存しようとする生き方を開いていくことになる。

学院生活も、後半を迎えるにあたって、一人ひとりがあらためてどうなりたいと、どうしたいと願っているのか、その願いをはっきりさせるためにも、1,「何をなすか」について、僧(=仏弟子)として、2,「如何になすか」仏弟子(=僧)としてどう決定できているか。また決定できないのなら、なぜ決定できないのか、そこにどういう問題があるのかを確認し、その上で、比べず、焦らず、諦めず、自分らしく足を上げて一歩一歩踏み出せるよう自己点検し、相互点検をしてほしい。

《平成6年(1994年)11月14日》

2,願生浄土の歩み(第九章を中心として)

大谷専修学院 竹中智秀院長 【歎異抄講義】㉒

報恩講のシーズンである。門徒にとっての報恩講は、縁のある寺に集まり、共に、1,正信偈のおつとめをし 2,『御伝抄』に遇い 3,食事を共にしながら、お互いに聖人の御恩を思い起こして、御同朋としての交わりを深めていく大事な仏事である。我々は、聖人とどのように出会えているだろうか。聖人は、

信心の人はその心すでに浄土に居す(『御消息集』)

と言い切られている。だからこそ、いつでも称名念仏して阿弥陀如来の浄土に思いを寄せ

四海の信心のひとは、みな兄弟 (『御一代記聞書』)

と縁ある人々と御同朋となりあって苦労をともにして生きられた人といえる。

このことは聖人ひとりに限らずに、実は信心の人は皆、二重国籍者である。我々はこの世間においては、日本人として日本の国籍を持つ者である。しかし信心の人となる時、それと同時に浄土を本国として、その浄土に国籍を持つ浄土の人として目覚めることになる。だから日本人としては、印度人でも中国人でもない。そのためいろいろと制約を受ける。しかし浄土の人としては、印度人とも中国人とも御同朋となれる。浄土真宗は、三国七高僧によって代表される信心の人によって伝統されてきている。

実は聖人は「正信偈」を“和朝愚禿釋親鸞”(『尊号真像銘文』)の名告りにおいて公にされている。その和朝は、単なる日本の国ではなく、浄土を本国とする信心の人たちによって作り上げられる、浄土を映す和国のことである。浄土真宗とは、その和国を作り上げようとする信心の人たちの伝統を言う。我々は、正信偈のおつとめをしながら、いつでもその浄土真宗の伝統から、「さあ、和国作りに参加しないか」と呼びかけられている。

聖人は、その浄土真宗を、往相・還相の二種の回向で示されている。(『教行信証』教巻)それは我々が称名念仏して信心の人となり、阿弥陀如来の浄土に目覚めていく側面を往相回向(=法の深信)として示し、その目覚めを基軸として、今・ここの世間が抱えている諸問題を見通して、縁ある人々とともに浄土を明らかにして願生浄土していく側面を還相回向(=機の深信)として示されている。実はこの還相回向の側面こそが、和国作りに関わる問題である。

聖人がこの世間で縁ある人々とされたのは、「いなかのひとびと」である。聖人は『唯信鈔文意』において、その「いなかのひとびと」について、1,「文字のこころもしらず」 2,「あさましき愚痴きわまりなき」といわれている。また「自然法爾章」において、1,「よしあしの文字をもしらぬひとはみな」 2,「まことのこころなりけるを」とも言われている。

この「いなかのひとびと」は、具体的には『歎異抄』13章において、1,漁夫として 2,猟師として 3,商人として 4,百姓として その業縁しだいによって生きる人々として示されている。実はこの人々は、当時の世間の仕組みの中では、氏素性も知れぬ奴として、時には下人(げにん)として金で売り買いされ、差別されて生きることを強いられていた人々である。

聖人は、この人々と御同朋として出遇われ、その人々が世間の中で差別されている事実を悲しまれ、念仏を称え一人ひとりが阿弥陀如来との関係を結び、浄土の人となって、いのちの尊厳性と平等性に目覚め、まず自分自身を世間の仕組みの中での差別から解放されることを願われている。そのためにも聖人は、あえて「いなかのひとびと」の中に身を置いて、その人々に念仏を相続するために苦労されている。

特に『唯信鈔文意』において、『五会法事讃』で凡夫が信心の人となる時、「能令瓦礫変成金(のうりょうがりゃくへんじょうこん)」(よく瓦礫をして金に変成せしむ)と瓦と礫(つぶて)を金(こがね)に変えると、単に譬えとして用いてあるものを、聖人は関係のない『阿弥陀経義疏』の「具縛の凡愚、屠沽(とこ)の下類」を取り上げて、その「瓦礫」を具体的に「屠沽の下類」として見られている。これこそ「いなかのひとびと」に心得やすからんとしてのことである。

人間でありながら、世間の仕組みの中で差別を強いられて、非人間化され、モノ化されている屠沽の下類としての「いなかのひとびと」こそが、その「瓦礫」であるとされているのである。しかし聖人は、

りょうし・あきびと、さまざまのものは、みな、いし・かわら・つぶてのごとくなるわれらなり。(『唯信鈔文意』)

とその「いなかのひとびと」の中に自分自身を置かれていることである。この「瓦礫」としての「いなかのひとびと」が、信心の人となる時、「変成金」されると聖人は読み切られている。「変成金」は、もはや譬えではない。それは仏と成るべき尊厳ある人(=菩薩)となって新しく生まれ変わっていくことである。

そのように、まず「変成金」した「いなかのひとびと」が、二重国籍者として浄土の人として、この世間の中で縁のある人々と共に願生浄土の生活をしながら、道場を中心として作り上げた僧伽(サンガ)、それこそが浄土を映す国 和国であった。聖人もその中に共に身を置いて、和国作りの一事のために生き抜かれている。

そういう聖人を思い起こしていくのが報恩講である。報恩講の伝統に願生浄土の願いに生きる門徒が、聖人に勇気づけられて和国作りへと更なる歩みを踏み出すための仏事である。

《平成6年(1994年)11月21日》

3,方便化土往生

大谷専修学院 竹中智秀院長 【歎異抄講義】㉓

一切衆生平等往生を誓う如来の本願は真実であり、その浄土は真実であると言えても、いざ現実の生活はどうなのか。その浄土を願生する者として生活ができているのか、と問われる時、いつでも「念仏申しそうらえども」(歎異抄9章)そのことが曖昧になっている事実を思い知らされる。

このことは、自利利他円満を願い、大衆と共に生きようとする大乗の菩薩にとって、退転の危機となるのは、1,怨親の中に等心に 2,時の久近を簡せず とされているのと同じ問題を抱えるからである。生活をはじめれば、誰でも必ず親しい関係になる者と、怨敵の関係になる者とが現れてくる。その時、怨敵関係になる者とも、親しい関係になる者と同じように平等に交わっていくことは至難のことである。その時必ず、1,言ってもわからないと関係を切るか、 2,いつかその時が来ればわかるだろうと距離を置いてしまうになる。実は、そうすることによって直接に関係しあうことのしんどさをやめて、早く楽になろうとするのである。それが退転の危機である。

また、いつ終わるかわからない問題を抱え込む時は、いつまでたってもやれやれと安心できないため、最後まで関係を保ちつづけることも至難なことである。そのため、その者との関係を切ることによって、自分自身を助けようとする。それが退転の危機である。

そういう菩薩たちが抱え込む退転の危機を、「菩薩の死」とも「堕二乗地」とも言われ、それは地獄に堕ちるよりも恐ろしいこととされている。なぜなら現実に問題があるにもかかわらず、済んだことにして自分を助けてしまうからである。願生浄土の歩みにおいても、そのようにして自分を助けて済んだことにするのを、「懈慢界」、「辺地」、「疑城」、「胎宮」とかと言われて「方便化土往生」として示されている。その方便化土往生をどう克服して、真実報土の往生を遂げていくか、そのことが大問題である。

聖人は、浄土を本国とする僧伽(=和国)を、海に譬えられている。海は伝統的に「不宿」として見出されてきた。聖人はそれを、さらに徹底して「転成」として見出されている。確かに、海は流れ込むものをことごとく簡(えら)ばず、嫌わず、受け入れ迎え入れていく。僧伽もそのように人々を迎え入れていく、その海のはたらきの側面を、絶対受容として示されている。

しかし海は、その受け入れた者を、受け入れ迎え入れた者の責任において「如衆水入海一味」(衆水の海に入れば一味なるがごとし)といわれるように、どのような川の水も、海と同じ味に変えていく。そのことによって川の水を、海の水として生かし切っていく。僧伽もそのように人々を受け入れ迎え入れて、阿弥陀如来の善悪浄穢をえらばぬ心に出会わせ、その如来の心によって、常に善悪浄穢をえらぶ心を絶対否定し、そのことによって如来の心に目覚め、復活して、如来の心を生きる信心の人となり、僧伽を生み出す仕事に参加できるようにしていく。それが転成である。僧伽は本来そのように機能するものである。僧伽が生きているか、死んでいるか。それはそういう機能を持っているかどうかにある。

我々はその都度、退転の危機にさらされるが、実はその我々を護ってくれるのが僧伽である。僧伽は「善友(ぜんぬ)」(=善知識)のおられる所である。そこで我々は如来の真実を再確認し、自分自身の願生浄土の志願を再確認し、自信教人信の歩みを展開することになる。そのことが我々を方便化土往生から、真実報土への往生へと出発させることになる。

《平成6年(1994年)11月29日》

4,信心の行者と浄土・僧伽・国家・教団との関係

大谷専修学院 竹中智秀院長 【歎異抄講義】㉔

浄土の問題について、正面きって問題にされた先生の一人に、金子大榮先生がある。先生は『浄土の観念』で、異安心問題を問われ、宗門追放の処分を受けられてもいる。先生は、その中で「二つの教会論」を展開されている。それは1,「見える教会」と、2,「見えない教会」である。

「見える教会」とは、かつての本願寺を中心とした本願寺教団のことであり、それは社会的に存在する教会である。その時、「見える教会」に所属する人々は皆、如来の子として御同朋である。しかし、この教会に所属しない人々は、例えばキリスト教とか、真言宗とか等々は、いきなり御同朋ということにはならない。

「見えない教会」とは、それこそが如来の願心によって荘厳されている、真実報土としての浄土である。その「見えない教会」としての浄土においては、皆が如来の子として御同朋なのである。金子先生は、その「見えない教会」としての浄土を、「永遠の教会」としながら「観念界的浄土」とされている。実はこの「見えない教会」が、「見える教会」の根拠となっている。だから我々は、有縁の念仏者より念仏を勧められ、我々自身も如来の本願に遇い、この「見えない教会」としての浄土に目覚める時、信心の人となれる。

その信心の人々によって作り出されるのが「見える教会」である。そのため、「見える教会」に所属する者は、「見えない教会」を知らないため空過する世間の人々に、その「見えない教会」のことを知らせ、一人ひとりが如来の子であることに目覚めて、「見える教会」に参加することを勧める使命がある。金子先生は、『浄土の観念』において、そのように強調されている。先生が使命とされている「見える教会」こそ、親鸞聖人が願われた、僧伽としての和国である。

先生がこの『浄土の観念』で異安心問題を問われたのは、昭和のはじめである。教団を追われた先生は、昭和16年に赦されて教団に復帰されている。その先生も、第二次世界大戦中は、浄土を根拠としないで、「見えない教会」を根拠としないで、どうしたことか国家を根拠にしながら「見える教会」を論じてしまわれた。どうしてこういうことが起きたのか。それは、本願寺教団は、そのまま僧伽ではなかった。そのため、浄土と国家との関係が曖昧であった。この問題は、戦後になってはじめて問われるようになっている。

我々一人ひとりは、1,念仏者(=信心の行者)であり、2,教団人であり、3,日本人でもある。根本は、念仏者(=信心の行者)として、阿弥陀如来とその浄土との関係がどうなっているかである。念仏者(=信心の行者)も、社会の中で、業縁によって「何をなすか」という仕事がある。その仕事を縁としながら、「如何になすか」ということにおいて、阿弥陀如来との関係の中で、どのように念仏を相続していくか大きい使命がある。そのことを課題にし続けていくしかない。
 
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