五、念仏者の生活

1,財(経済)の問題(十六章を中心として)

大谷専修学院 竹中智秀院長 【歎異抄講義】⑫

念仏者たちは、お互いに念仏しながら弥陀の浄土に心を寄せ、世間の中で同朋としての交わりを深める生活を始めた。その時、曖昧にできない問題があった。それは、1,神道(宗教) 2,王法(政治) 3,触穢(習俗) 4,霊(文化) 5,財(経済)の問題である。これらの問題に念仏者はどう関わることが出来るか、そのことが念仏者となっていけるかどうかにかかわる重大な問題である。

まず財(経済)の問題である。聖人の手紙を見ると、田舎の同朋たちが、聖人の元へ銭(金)を贈り届けていたことが分かる。手紙はその領収書で、それと同時に、田舎の同朋の問題に聖人が念仏の心を伝える言葉が記されている。それは僧伽(教団)における在家の行者の財施に対して法施の形を伝えている。注目すべきことは田舎の同朋から贈り届けられる銭を、聖人は必ず「御こころざしのもの」、「念仏のすすめのもの」として受け取られていることである。それは銭が単なる銭ではなく、田舎の同朋たちが厳しい生活の中でやっと手に入れた銭を、仏法のために差し出しているのであると、聖人に受け取られていたからである。

仏子勝鬘(しょうまん)は、仏法に遇い得た喜びを

我、摂受正法において身命財を捨てて正法を護持せん(『勝鬘経』)

という誓いとして示している。正法を受持した事のしるしとして、身命財を捨ててその正法を護持しようと誓っているのである。我々は誰でも身命財に愛着し続けている。その我々の愛着するものを捧げても良いと言える尊いもの、また、投げ出してでも実現したい、そういう尊い仕事が見出せた、それが仏法によって助けられたことになる。

聖人の教えを受け継ぐ同朋たちは後に、「一味和合契約のこと」といってお互いに災難に遭う時は、身命財を投げ出してでも助け合おうと約束し、またその約束を破る時はどのような罰を受けても良いと誓い合っている。このことが後に仏法護持のための一向一揆ともなっている。

田舎の同朋たちは、その銭を本願念仏の仏法が一切衆生に届けられ、そのことによって皆が助けられることを願って、聖人の元へ贈り届けられていた。だからこそ聖人は、それを「御こころざしのもの」、「念仏のすすめのもの」として受け取り、仏法相続のために生かし切られている。

我々は聖人を偉大な念仏者として個人崇拝しがちである。しかしそれは間違いである。聖人の背後に聖人を支え、励まし、立ち上がらせ、歩み続けさせた、多くの田舎の同朋たちが存在していることを忘れてはならない。『教行信証』等を読む時に、その一字一字に、その行間に、仏法のために身命財を投げ出した田舎の同朋たちが存在することを読み取ることがいちばん大事なことである。

聖人の当時、すでに「仏物」(ぶつもつ)・「僧物」(そうもつ)・「人物」(にんもつ)という思想が定着していた。『観経』には、下品中生者の罪として

僧祇物を偸み、現前僧物を盗み

が出されている。これらが僧物である。その僧物を偸盗(ちゅうとう)することは、それを私有化することである。結局は、自分自身の欲望を満たすために、それを利用することである。その罪が堕地獄の罪として取り上げられている。

私は少年時代に、小遣いがなくなると、本堂へ入って門徒の人々の寄進されている銭を懇志箱から盗んだことがある。後に『往生要集』を読んだ時に、阿鼻地獄に堕ちる罪深き者として「虚食信施者」(虚しく信施を食ひたる者)と、「昔、仏の財物を取りて食ひ用いたる者」があることを知って驚いた。虚食信施者とは、信者が仏法のために仏物として布施している財を、自分の欲望を満たすために虚しく食うことである。

このことは蓮如上人が

世間へつかう事は、仏物を徒(いたず)らにすることよと、おそろしく思うべし。(『御一代記聞書』)

と告げられているように恐ろしいことである。なぜなら信者の魂を、その志願を踏みにじることになるからである。土下座して謝っても謝りきれない問題である。
しかし我々にしてみれば、そのことを罪とも知らずにおこなっていることが多い。だからそのことをよく見て、その罪の深さを知り、恥じることだけが我々を立ち上がらせる力になる。

十八章には、

すべて仏法に事を寄せて世間の欲心もあるゆえに、同朋を言いおどさるるにや。(『歎異抄』)

という厳しい批判が下されている。我々は仏弟子を名告ってみても、世の中で生活する者であるから、経済の問題を疎かにはできない。しかしその経済と仏法との関係どうなっているのか。経済を中心にして仏法なのか、仏法を中心にして経済なのか。仏弟子を名告る自分自身のこととして常に問い、そのことを曖昧にしないことだけが、我々において仏道が始まるのか、始まらないか、そのことを左右することになる。よく問わなければならない問題である。

《平成6年(1994年)9月12日》

2,神道(「流罪の文」を中心として)

大谷専修学院 竹中智秀院長 【歎異抄講義】⑬

次に神道の問題である。神道は政治の問題となる時は国家神道として機能する。かつて親鸞聖人は、承元の法難に遭い、流罪の身となられた。法難のきっかけになったのは、興福寺奏状である。それは念仏者の過失を取り上げ、朝廷へ訴えたものである。

その中でいつでも問題になるのが、第一は、「念仏者は念仏宗を名告っているが、それは私的なものである」と非難していることである。このことは、何が権威であり公なのかを問う問題である。
奏状では「1、勅許(ちょっきょ)があり 2,公家処分(くげしょぶん)があってはじめてそれが権威のある公のものとなる」としている。「勅許」とは、天皇の許可であり、「公家処分」とは、国家による法的手続きのことである。念仏者はその手続きがないまま一宗を名告っているから、それは権威もなく私的なもので問題があるとの批判である。

さらに第二、「念仏者は霊神に背き、神道を敬わないから問題がある」として批判していることである。このことは、神道が国家神道であることを示し、神道を否定することは天皇を否定し、国家を否定することになる事を問うている問題である。

実は霊神とは、皇祖神 天照大神のことである。早くから日本の国は天照大神が主として開かれた神国であり、その子孫である天皇によって統治され続けているとされてきた。その皇祖神 天照大神を祀るのが神道である。「それにも拘わらず、念仏者は霊神に背き、神道を敬わない。そのため重大な過失を犯している」と日本の仏教界を代表して興福寺が批判しているのである。これら二つの問題は、結局、我々にとっては何が権威であり公なのか、そのことに関わる問題である。

法然上人も親鸞聖人も、念仏者を名告るにあたり血脈相承(けちみゃくそうじょう)を明示されている。その血脈相承とは、本願念仏の仏法が真実であることを、諸仏たちの伝統を示し、私はその伝統を受け継ぐ者であることを示すことである。実はそうすることによって、自分自身が私的でないことを示すのである。この本願念仏の仏法を云々する時、その法は、命の尊厳性と平等性こそ、いつでも・どこでも・誰においてでもそれは普遍の道理であることを言う。

しかしそれだけでは、“真”であっても“実”ではない。それは「その法が、今・この私において信受され、その法の示す道理が、私自身に喜びをもたらした」という事実があって、はじめて実となる。だからその法は、一人ひとりの自覚自証によって具体化する。その法の真実性を証明するのは私たち一人ひとりである。だからそれは、一人ひとりの証明によって、その法が真実の権威であり公であることが証明され、力を持つことになる。

だからそれは奏状が公とするものと質的に異なる。奏状で公とされている勅許とか公家処分とかは、国家神道を前提とする公である。この国家神道こそ共同体信仰である。その特徴は、1,帰依するとかしないとかの問題でなく、仲間となるかならないかの問題である。2,その共同体信仰を受け入れれば、共同体によって保護され、3,拒否すれば排除され死罪とか、流罪とか、所払いにされる。そのため共同体信仰は、いつでも恐怖を伴うものである。

昭和20年、敗戦の時、昭和天皇は「私は現人神(あらひとがみ)ではない」と人間宣言をされた。しかしその時天皇は、「天照大神は神でないとは思わない」と言われている。このことは日本の国が皇祖神 天照大神によって開かれた神国であることを否定しきっていないことになる。国民もそのように聞いているのかも知れない。

現代でも皇祖神 天照大神の問題は生きているし、国家神道の問題が我々の体質として生きてもいる。実はこの国家神道こそ、外には民族差別を生み出し、内には血統による種々の差別を生み出す源泉である。そういう中で、本願念仏の仏法を血脈相承する門徒たちによって浄土真宗の伝統は受け継がれてきている。

本堂へ行けば、今でもご本尊 阿弥陀如来を中心として親鸞聖人、蓮如上人、さらに三国七高僧、さらに聖徳太子の御影が大事にお給仕されて来ている。そこには同一念仏によってお互いに国境を越え民族を越えて「四海の内みな兄弟」として共存しあえる世界が具体的に示されている。特に親鸞聖人は、聖徳太子を「和国の教主」として讃嘆されている。聖人や門徒によっては、日本の国は神国ではなく、本願念仏の仏法を弘宣された聖徳太子によって開かれた和国である。弥陀の浄土にふさわしい国である。聖人は晩年「日本国帰命聖徳太子」(日本国よ聖徳太子に帰命せよ)と呼びかけ、自分自身を「和朝愚禿釋親鸞」と名告られている。和国を作り上げたいと願われていたのである。

しかし国家神道を共同体信仰として持つ日本の国の中で、念仏を伝統して生きる者は、どうしてもその国家神道と対決せざるを得ない。またそこには法難も避けられない。これまでも、これからも、念仏者はこの国家神道とどう関わるかが問われることを忘れないでいて欲しい。

《平成6年(1994年)9月19日》

3,触穢の問題

大谷専修学院 竹中智秀院長 【歎異抄講義】⑭

さらに触穢(しょくえ)の問題である。神道は日常生活の中に触穢問題として機能しながら、習俗となって根付いてきている。それは一言でいえば「死を穢れとして忌む」ことにある。実はこのことが、いろいろな差別を生み出す縁となっている。

問題は天照大神に出生の秘密があることである。それは神世七代(かみのよななよ)にあたるイザナギ(男神)、イザナミ(女神)にかかわることで、イザナミが死に、黄泉(よみのくに)に去ったので、イザナギはその黄泉に行き、帰ることを求めた。イザナミは「私はすでに黄泉の食物を食べたので帰れない」と言った。イザナギがよく見ると、イザナミの死体には蛆(ウジ)が湧いていた。そのためイザナギは逃げて帰り、水で我が身の汚穢(けがらわしきもの)を禊ぎ祓いした。左の目を洗った時に生まれたのが天照大神である。この天照大神の出生の秘密を原点として、死と、死に関わるものを触穢として忌み嫌う生活が作り上げられてきている。

特に、神を祀る神事はそのことが徹底されている。神事は「斎」(さい)と言われ、それは「いみ」、「いむ」とも言われていて、直接的に、しなければならないこととして身と心を清め、飲食や行動を慎み、斎戒沐浴することである。それと同時に神事は「忌」(いみ、いむ)とも言われていて、それは間接的に、してはならない禁忌(タブー)として穢れを忌避することである。だから神事はこの「斎」と「忌」との両面性を持っている。特に「不食肉」(ししむらをくらはず)とか、「不預穢悪之事」(穢悪の事に預からず)とかが禁忌とされている。

穢悪の事の中に、黒不浄(死穢)、赤不浄(血穢)、白不浄(産穢)が三不浄として問題にされている。赤不浄とか白不浄とかは、女性自身の避けられない問題である。それが穢れ(ケガレ)とされている。このことが今日に至るまで女性差別の問題と深く関係してきているのも事実である。

この死を穢れとして忌む触穢問題は、根本に共同体信仰としての国家神道があるため、それを無視することは厳しい罰が加えられることになる。そのため善悪浄穢をえらぶことなき本願によって生きる門徒たちでも、親鸞聖人当時から、「その所の主が神事をし、禁忌する時、それに従うべきである」という掟(おきて)を持つ者たちもいた。

蓮如上人当時になれば、その土地の支配者たちとの関係が深くなり、特に触穢の問題に関して、念仏者としてどう対応していくか、さらに厳しい選択となっている。最終的に蓮如上人は、

忌(いみ)不浄(ふじょう)といふことは仏法についての内心の義なり。 さらにもって、公方(くぼう)に対し、 他人に対して、 外相(げそう)にその義をふるまふべからず。

と言い切られている。それは、「門徒同士の間では、忌・不浄は無いことである。しかし世間の中で、忌・不浄は無いことであるとすれば、世間から迫害を受けることになる。そのため、そのようにしてはならない」と掟を定め規制されている。蓮如上人は、念仏に縁を結ぶ門徒同士の間のことと、そうでない世間の人々との間のことを別々に分けて二重構造をとられている。

『御文』(1-9)を見ると、

当流をきたなくいまはしき宗と人おもへり。さらにもつてこれは他人わろきにはあらず、自流の人わろきによるなり

として批判されている。世間の人々は、触穢を問題にしない門徒たちを、「おかしくきたなき宗の者」として蔑視している、そのことが分かる。しかし上人は、「そのように蔑視するのは、世間の人に問題があるのではなく、掟を守らない当流の人に問題がある」とされている。このことを皆はどう思うだろうか。

神道が政治の問題となる時、念仏者は国家権力によって弾圧されかねない。一方、触穢として習俗の問題となる時は、一般大衆から直接に村八分にされ、生活権を奪われかねない。蓮如上人は、そのため掟をもって二重の構造をとろうとされた。しかしこのことは、本音と建て前の二本立てになる危険性をいつも伴う。

親鸞聖人は、聖徳太子に思いを寄せ、その恩徳を、

久遠劫よりこの世まで
あわれみましますしるしには
仏智不思議につけしめて
善悪浄穢もなかりけり (正像末和讃・太子和讃7)

また、

うえ人しにてそののちに
むらさきの御衣をとりよせて
もとのごとくに皇太子
著服してぞおはします (聖徳太子奉讃95)

という和讃も残されている。これは太子が、行き倒れている者に会われ、その者に声をかけ食物を与え衣を与え、その者が後に亡くなった時に、墓まで造って葬られている。しかし後に、その亡くなった者がいなくなり、棺に太子が与えられた衣だけが残されていた。太子はその衣を取り寄せて、前と同じように着られたというのである。親鸞聖人は、そのことを和讃にされている。

この、1,行き倒れている者に声をかけること。2,触穢の衣を着服すること。このことは重大な問題である。太子は皇祖神 天照大神の神事を司る司祭者であり、権威そのものである。その太子がそういうことを問題にされていないのである。このことは、国家神道そのものの否定である。そのことによって太子が善悪浄穢をえらばない如来の本願の真実を、念仏者として証明されているのである。その事実を親鸞聖人は、鋭く見られて「和国の教主聖徳王」を見極められている。

触穢の問題は、そういう重大な問題に関わることである。実は神道問題は、政治としては靖国問題として、習俗としては同和問題として我々に深く関わってきている。我々は本願を云々し、念仏を云々しながら、それらがあまりにも身近な生活権なり、生存権に関わる問題だけに、一歩踏み切れないでいる。どういう事実があり、なぜそうなっているのか、我々自身の問題として、勇気を出してまず問うことから始めていくことが大事である。

《平成6年(1994年)9月26日》

4,霊(=文化)の問題   念仏者となって法身観を確立し、日本人の霊魂観(=先祖観)を解放しよう

大谷専修学院 竹中智秀院長 【歎異抄講義】⑮

さらに霊の問題である。日本の家には先祖(=祖霊)がおられ、その先祖が子孫たちによって祀られている。そのしるしが仏壇があることである。仏壇は位牌が中心であって、その位牌が先祖を示す。しかし先祖が云々される時、いまだに問題になるのが家柄とか血筋とかである。それは先祖が個々別々な先祖ではなく、一つの秩序の中に位置づけられている、社会的存在としての先祖であるからである。そのことを具体的に示すのが位牌である。

位牌の「位」(い)は死者の霊の位を示し、「牌」(はい)は、その座牌(=座る位置)を示すとされていた。位牌に示される戒名・法名は、世間の身分が分かるように示されながら、死者たちは子孫によって先祖とされていた事実がある。そうすることによって天皇を中心とする「この世」の秩序が、そのまま皇祖神 天照大神を中心とする「あの世」の秩序と相呼応する仕組みを作り上げてきた。だから位牌を中心とした仏壇は、隠された本尊として天皇の尊牌(そんぱい)を持っていることである。そういう構造を持つのが日本の家の持つ問題性である。

そのため、霊の問題もそれは先祖(祖霊)の問題となる。それは社会霊であり、共同体霊であって、実体化されたものである。その霊を中心として作り出される「あの世」とか「この世」とかも非常に実体化されたもので、それが国家神道を中心とする皇国史観を成り立たせる土台となっている。実はそのようにして霊は国家(天皇の国家)によって管理されてきているのである。このことを十分によく知っておく必要がある。

そういう中で門徒は、その家にご本尊 阿弥陀如来を中心として、親鸞聖人、さらに先祖たちの法名を連ねた過去帳を安置した「お内仏」を持ち、大事にお給仕してきている。だから門徒の家は阿弥陀如来のおられる家であり、一人ひとりが如来・聖人の弟子となって教化され、本願念仏の仏法を相続してきている。そのことが隠された本尊を持って先祖祀りをする、日本人の実体化された先祖(=祖霊)を転成していく力として機能してきている。そのことを再確認して欲しい。

実は我々は色身(しきしん)と法身(ほっしん)という二身がある。色身は、生老病死する自然的身体であり、また民族の業を担った歴史的社会的身体のことである。法身は、本願念仏の仏法を聞き、その仏法に帰命し念仏者となって生きる法的身体のことをいう。いつの頃からか門徒はお葬式の時にこの二首の和讃を必ず読むことになっている。

本願力にあひぬれば
むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて
煩悩の濁水へだてなし

如来浄華の聖衆は
正覚のはなより化生して
衆生の願楽ことごとく
すみやかにとく満足す        (「高僧和讃」天親讃13,14)

実は我々が法身を得るとは、1,どういう事として成り立ち 2,どういう事がはっきりし 3,どういう生活がはじまっていくのか、そのことが明快に示されている。

我々は誰も皆、真実の国土を求めている。国土はどこかに有るというのではなく、お互いに呼びかけ合い、応え合いながら交わりを深めて出遇っていくところに有る。呼びかけても応えがなく、呼びかけられても応えていけない、そういう事であれば、お互いに相手が見えなくなって国土が無くなってしまう。そのため我々は死(社会的死)とか孤独とかの問題を抱え込み、「こんな事なら生きていても無意味」と空過の思いに落ち込む。如来はそういう我々の苦悩をよく知り、摂取不捨の大慈悲心をもって国土を作り、さらに「欲生我国」と我々を呼びかけられている。

「本願力に遇う」とは、その呼びかけに応えることが出来たことである。阿弥陀と我々とがお互いに呼応しあう間柄になれたその時、ただちに阿弥陀の御心のはたらく国に我々は生まれ、阿弥陀の眷属(けんぞく)となれる。そのことを聖人は「正覚の花より化生して」と示されている。その時、我々は法身を得ることになる。それは本願を信じ、念仏申す身となれたことである。聖人はこのことをさらに

同一念仏無別道故。遠通夫四海之内皆為兄弟
(同一に念仏して別の道なきが故に。遠く通ずるにそれ四海の内 皆兄弟と為すなり)

として、より自覚的に示されている。それは我々が法身を得て念仏者となって阿弥陀の国に生まれ、阿弥陀の眷属となることを通して、あらゆる人々がお互いに如来の眷属として兄弟であることを知り、「兄弟よ」と呼びかけ、事実として兄弟として出遇っていこうとすることである。

我々は色身として、日本人の一人として民族の業を背負い込み、国家神道は体質にまでなっているし、また先祖(=祖霊)観に深くとらわれている。それらを念仏者となり、法身を確立し法身を生きることを通して、まず我が色身が背負い込む民族の業を解体し、阿弥陀の国の眷属となることを徹底しながら、誰も皆が真実の国土(弥陀の浄土)を願っていることを信じ、「兄弟よ」と呼びかけ続けて、一人ひとりが念仏者になり、法身を確立することによって、自らを解放することを願って生活したい。
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