八、法蔵菩薩の誕生

1,いのちは誰のものか

大谷専修学院 竹中智秀院長 【歎異抄講義】㉕

我々にとって、いちばん悲惨なことは空過することである。それは現に、今・ここに生きているのにもかかわらず、その事実を受け入れられないで、「ここではない。これは私ではない」として、自分を否定して生きることである。確かに現実は、我々の「こうしたい」という願いが、願いどおりになりにくい。しばしば絶望的になりがちである。そのため生ける屍のようになって空過する生が現実化しやすい。こういう我々の空過する生の現実を、如来は憐れむがゆえに、その我々を助けんとして本願を発されている。

聖人は、

弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人が為なりけり(「歎異抄」後序)

と述懐されている。また

本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき(「高僧和讃」天親章)

と讃嘆されている。これらのことは、聖人自身が、空過の生を、本願によって助けられたからである。本願といい、信心といい、念仏といっても、我々がこの空過の生の歴史からどう解放されていくのか、そのことと別ではない。このことを最終的に共に学習していきたい。

実は我々は、信國先生を学祖として仰いでいる。その学祖が常に問題にされたのが、「いのちは誰のものか」である。我々が、今ここに現に生きている事実は、この私が生まれたからである。この生まれるということは、誰の場合でも必ず、いのちが与えられることである。具体的には、この身と、この身を生きていく土(=世界)、それは自然的環境と、歴史的・社会的環境とであるが、それが与えられることである。

それと同時に、そのいのちを我がいのちとして、常(じょう)【=いつでも】、一(いつ)【=一貫して】、主(しゅ)【=あるじ】、宰(さい)【=責任をとる】する我の意識が現れてくることである。

しかし、そのいのちに関わる我の意識には、全然ちがった二種がある。学祖は、「いのちは誰のものか」という問いを立て、いのちに関わるその二種の我の意識のちがいを問題にされている。

その時、少年釈迦と少年提婆(ダイバ)とが、一羽の雁の所有をめぐって争った事件を取り上げられている。それは雁を提婆が射落とした時、傷ついた雁を、提婆より先に釈迦が拾い上げ、助けようとした。その雁の所有権をめぐって多くの人々も加わって争いとなった。その時、一人の知恵者が、「いのちある者は、それを愛そうとする者のものであって、それを傷つけようとする者のものではない」と言い切った。

いのちはいつでも、それを愛そうとして関わる釈迦的な我に親しみ、つき従おうとし、それを傷つけようとして関わる提婆的な我を恐れ、つき従おうとはしない。それがどのようないのちをも支配する永遠の法則である。

学祖は、「いのちは誰のものか」と問いかけて問題にされたが、実はそのことを我々に伝え、知らせようとするのが如来の本願なのである。

《平成7年(1995年)1月18日》

2,法蔵菩薩とは誰のことか

大谷専修学院 竹中智秀院長 【歎異抄講義】㉖

我々は、いのちには、どのようないのちをも支配する、永遠の法則があることを知った。確かにいのちを生きる者は、提婆(ダイバ)的に、弱肉強食しあって生きるしかない事実もある。しかしどのようないのちであれ、いのちある者の根底を貫いて、欲生する心が事実ある。それはその者を絶対的に愛そうとする者に向かって、まっすぐに行こうとすることである。それを誰も妨げることはできない。

それは、ごく日常的にも、いのちを生きる者が示す、1,向日性 2,帰巣性 3,倶会性 等に見ることができる。このことは、実はどのようないのちも、同じ一つのいのちを生きているからこそである。だからお互いに一如に出遇おうと欲生する心が働きあうのである。この法則こそ、永遠不変の法であり、誰もが従わざるをえない権威である。仏の法と言ってもこのことを言う。

実は、聖人が真実とされる『大経』には、法蔵菩薩の誕生と、その法蔵による国づくりと、その国への一切衆生の平等往生とが問題になっている。それは一人の国王が世自在王仏の説法を聞くことにより始まっている。その説法といっても、それはいのちを支配する、その永遠の法則をよく悟り、その法則によって生きることになった仏によって、その法則が仏自身の生活を通し、言葉を通して教えを示されたのである。

そこに国王は、自分と全くちがう生き方と、自分の国とは全くちがう国のあることを知った。そのことによって国王は、自分の生き方がどういう問題を持っているのか、また自分の国が、どういう国となっているのかをはっきりと知ることにもなっている。それは、自分を中心としての、自分の愛欲と名利とを満足させるために、全てのいのちを私有化し、支配しようとする生き方であり、そこには自害害彼する地獄の世界があるだけであった。それこそいのちの法則に背いた提婆的な我の生き方でしかなかった。

それと対照的に世自在王仏の生き方は、どのようないのちをも尊び、敬愛して、共に生きようとする生き方であり、そこには自利利人し、倶会しあう国が開かれていた。それこそいのちの法則にかなった、釈迦的な我の生き方があった。その生き方の違い、その国の違い、それはそのまま真実なるものと、虚偽なるものとの違いを明快に知らせることになった。国王は、そのことを見て知ったからこそ、もはや提婆的な我として生きることができ
なくなり、その生き方を放棄して、世自在王仏のように釈迦的な我として生きようと願って仏弟子となり、自らを法蔵と名告っている。ここに国王における回心の事実が示されている。

回心とは、この提婆的な我に死んで、釈迦的な我に生きることを選びとることであり、その転換をいう。それが南無仏である。仏弟子 法蔵は、仏に教えられ、いのちを支配する永遠の法則によって生きはじめ、地獄化していた国において、新しい国づくりをはじめ、その国を浄土として荘厳し、さらにその浄土へ、いのちある者をすべて迎えとって助けようと誓願を立て、その浄土往生の行として称名念仏 南無阿弥陀仏を選択し、回向している。だから我々が本願といい、称名念仏といっても、それは法蔵菩薩が、いのちを支配する永遠の法則によって荘厳した国、すなわち南無阿弥陀仏の浄土に往生して助けられていくことである。

阿弥陀仏の浄土といっても、それは願心荘厳の国土であり、阿弥陀仏が、すべてのいのちを生きる者は、それを絶対的に愛そうとする者に帰依し、つき従うものであることを、すなわちそれこそが、いのちを支配する永遠の法則であることを事実をもって証明する、その一事を我々が教えられ、知らされる世界のことである。

だから助けられるということは、称名念仏して阿弥陀の浄土に生まれ、阿弥陀仏より教えられて、我々一人ひとりが第二の法蔵菩薩として誕生し、それぞれの現場において、新しい仏国土を作り上げていくことと別ではない。

《平成7年(1995年)1月23日》

3,我、無量寿を生きん

大谷専修学院 竹中智秀院長 【歎異抄講義】㉗

念仏者といっても、「法蔵菩薩とは、この私のことである」と言い切り、この私が第二の法蔵菩薩として名告りをあげ、阿弥陀仏の一の弟子として、また一人子として、いのちを支配する永遠の法則に従って、お互いに尊重し敬愛して生きようと決断することである、と思い切ったことを言って問題提起をしてきている。聖人も、弥陀に助けられることを問題にされているが、それも、「法蔵菩薩とは、この私のことである」と言い切られていることと別ではない。

このことが言い切れなかったことから、言い切らせなかったことから、真宗門徒も信心と言い、念仏と言いながら、決断力もなく現実に対応ができないまま腰抜けになり、本願寺教団も堕落して、多くの歴史的過失も犯してきている。だからこそ、二度とその過ちを繰り返さないためにも、また多くの歴史的過失をも受け止めて責任をとっていくためにも、「法蔵菩薩とは、私のことである」と言い切り、現実を引き受けて、それに対応して生き抜いていく者に共になっていきたい。そうでなければ、この一生は、ついに空過に終わってしまうだろう。今いえなくても、このことは忘れないでほしい。

実は、この2月5日は、学祖 信國 淳 先生の祥月命日であった。学院での青草会(あおくさえ)は、3月5日に勤めることになる。学祖の最期の言葉は、「汝、無量寿に帰れ 無量寿に帰って 無量寿を生きよ」である。我々の先祖たちは、いのちを「寿命」と受け止めている。「命」は限りあるいのち。「寿」は限りなきいのちである。我々は、ある時生まれ、ある時死んでいくことになるが、そのいのちは限りあるままに、限りなき無量寿であると知っていたからこそ、「寿命」と受け止めているのである。

今・ここの私自身として具体的にあるいのちは、事実として、その生存に関して、また、精神なり思想等に関して、自然的なもの、歴史的なもの、社会的なもの等々と、あらゆるものと相互に関係してあることにある。このことは、縁起の法として明らかにされているが、清沢先生は、「万物一体の真理」として示されている。確かに我々は、各個別々に独立自尊する個人としての我ではなく、互いに相依り相俟つ、一組織体をなす衆生としての我なのである。だから私は、私以外の一切のものによって影響もされ、支えられてもいる。このため、私の中に世界全体がある。このことを自他一如のいのちとも言われている。そのため、我々のいのちは、誰も皆、無量寿のいのち、「寿命」なのである。

しかし事実として、また道理としてそうであるとしても、そうであると教えられても、我々一人ひとりは、無有代者(代わる者有ることなし)の身として現に今・ここに生きている。そのため我々の自我意識は、自分の生活権なり、生存権を守ろうとして、いつでも自己中心的に他者を支配し、また排除しようとして、提婆的な我として国王的にふるまい、その自他一如、身土一如のいのちの道理を無視して、お互いに自分一人のために弱肉強食しあって地獄を作って生きている現実がある。そのため我々は、煩悩具足の凡夫なり、罪悪深重の衆生と、悲しいかな成り果てている。だからこそ、諸仏たちは念仏をすすめられてきている。学祖の「汝、無量寿に帰れ 無量寿に帰って 無量寿を生きよ」の呼びかけは、学祖の、我々への念仏のすすめでもあり、法蔵菩薩に目覚めて生きるすすめでもある。

確かに我々は、現に今、凡夫として、衆生として事実 生きている。そのため業縁によっては、どのような状況に身を置くことになるかもしれない。また、どのような罪業を犯すことになるかしれない。たとえば卒業後、現場に出て僧侶として生活することになるかもしれない。その時、「葬式坊主」と言われ、「拝み屋」とも言われるかもしれない。また「虚食信施者」といわれる罪業を犯すことになるかしれない。また、だれかが災難に遭うことになり、悪業を犯すことになるかもしれない。そうなれば衆生としての我は、関係がないとは言えない。

たとえば、靖国問題にしても、同和問題にしても、教団は、問題ありとして既に問われている事実がある。また日本人は、アジアの人々から民族差別の問題が問われている事実がある。我々も教団に所属する者として、日本人として、関係はないとは言えないだろう。また先日の地震で、思いがけない被害を受けて苦悩する人々のことを見て、知ってしまった。私は関係ないと言えないだろう。

しかし我々は、自我意識を我として生きている限り、それが我が身の事実であっても、都合の悪いことは受け入れることができない。そのため、仕方がない事として誤魔化すか、知らないふりをして済ませてしまうか、結局は、我が身そのものを生きることができなくなってしまう。

だからこそ、南無阿弥陀仏と称名念仏して、「我々は阿弥陀仏に帰依する者なり」と自己決定し、「法蔵菩薩とは、私のことである」と名告りをあげて、その我が身の事実を、凡夫としての、衆生としての我が身の事実を、言い訳をしないで、知らないふりをしないで、まず受け止めることから始めることである。どんなに辛くても、まず受け止めることからすべては始まる。
その上で、その事実をよく確かめ、具体的にどう対応するか工夫することである。そういう歩みを始めることができるのは、「法蔵菩薩とは、私のことである」という、新しい我の誕生を俟ってからである。そうでなければ、何もかもが曖昧となり、空過の思いもないままに空過してしまう。そのことがいちばん悲惨なことである。

《平成7年(1995年)2月6日》

4,常行大悲の生活

大谷専修学院 竹中智秀院長 【歎異抄講義】㉘

聖人は、仏弟子について、(しん)・(け)・(ぎ)に分けられ、「真の仏弟子」については、1,釈迦諸仏の弟子 2,金剛心の行人 とされている。金剛心の行人こそ念仏者(=信心の行者)のことであり、「法蔵菩薩とは、私のことである」と名告ることのできた者のことである。聖人は、その真の仏弟子は、現生において十種の益(やく)を必ず得るとされている。

その十種の益は、10,「入正定聚の益」を根本としている。それは、真の仏弟子が如来の一人子として、一の弟子として阿弥陀如来を親と慕い、師として仰ぐ身となったことをいう。その「入正定聚の益」が、8,「知恩報徳の益」を開き、その「知恩」として今日の自分があることの恩として、1,「冥衆護持の益」4,「諸仏護念の益」6,「心光照護の益」を開き、さらにその「報徳」として9,「常行大悲の益」が開かれている。

問題は、「常行大悲の益」である。我々は先日、大地震を経験した。(「阪神・淡路大震災」1995年1月17日)その体験は、あくまで私の体験ではあるが、それは単に個人としての体験ではない。衆生の一人としての体験である。そのため、状況が分かってくる中で、多くの被災した人々の苦悩が、他人事ではなく我が身にも痛いほど伝わってくる。そういう中で、今ここで親鸞聖人の弟子として、念仏者として、この現実を受け止めて何ができるのかが問われてきてもいる。

聖人が生きられた時も、たびたび天変地異が起きている。その中で、難渋する衆生を目の前にして、聖人自身も「いま私は何ができるのか」と問われていた事実がある。その中に三部経千部読誦(さんぶきょうせんぶどくじゅ)のことがある。それは健保2年(1214年)、聖人が42歳の時、越後より関東へ入られる直前、佐貫(さぬき)の地で、飢饉のため餓死していく衆生に出遇われている。その時聖人は、かつての天台僧の一人として、思わず三部経読誦を思い立って読み始められている。それは経の功徳によって 1,天変地異を鎮め、2,餓死した衆生の霊を慰め、3,怯える衆生を安心させようとしての思いからであった。

しかし聖人は、「名号の他には、何事の不足にて必ず経を読まんとするや」(「恵信尼消息」)と反省して、途中で中止されている。このことは「天変地異は繰り返し起きてくる。その都度、除災延命を願って祈祷しても、それは衆生の救済にならない。それよりも地獄をも恐れず、それを引き受けて立ち上がる力を持つ念仏者を育ててこそ、真実の救済である」と選択をされ、決断をされたからである。

しかしそれが、17年後の寛喜3年(1231年)、59歳の時、関東を離れ京都へ帰ろうとされる直前、その佐貫のことを聖人は思い起こされる出来事に直面されている。これらのことは、直接苦悩する衆生に出遇われる度に、聖人自身の中に揺れ動くものがあったことを示している。我々も、いろんなことが問われるだろう。家を失った人々の難渋を見、倒れた家屋の下敷きになり、自分は抜けだし家族を助け出しきれないうちに火事となり、自分だけ逃げ延び、後で現場に戻って焼け死んだ家族の骨を拾いながら慟哭し絶叫する人々も見た。ほんとうに辛いことである。この人々に対して何ができるのか。

原爆が落ちた時でも、外に現れた災害の傷は、やがて復興されていく。しかしその災害を縁として、衆生の心の内にできたその傷は、どう癒やされていくのか。今回も地震を縁として、多くの人の心の内に大きな傷跡がとどめられていることだろう。そしてこれからも、その内面の傷は逆に深まっていくことだろう。

聖人は「念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心」(「歎異抄第4章」)といわれている。慈悲は衆生に対しての抜苦与楽である。慈悲こそ我々をお互いに一如に出遇わせていく力である。その慈悲に三縁の慈悲がある。三縁の慈悲とは、1,衆生縁の慈悲(小慈悲)、2,法縁の慈悲(中慈悲)、3,無縁の慈悲(大慈悲)である。まず衆生縁の慈悲とは、衣食住の無い者にはそれを与え、病める者には薬を与え、等々と衆生のそれぞれの訴えに対応していく慈悲のことである。

さらに法縁の慈悲とは、法を縁とする慈悲である。法とは、これまで問題にしてきているように、諸法因縁生 諸法無我の縁起の法をいう。その法を覚った知恵を中心として起こされる慈悲のことである。それは具体的に無量寿のいのちを生きる衆生は、お互いに倶会一処しあうことを、衆生の志願として生きていることをよく知り、そのことを実現していく慈悲のことである。

我々がよく経験する衆生縁の慈悲は、それがどのようなものでも最後まで応えきれない。なぜかというと、それは、1,衆生の志願が倶会一処にあることが分からないこと 2,死畏を離れられないから最後は我が身を守ってしまうことになる。実はそれは、法縁の慈悲が不徹底であることからくる。

次の無縁の慈悲とは、無我を縁とする慈悲のことで、法縁の慈悲が徹底することにある。曽我先生は「無縁とは、有出離之の無縁である」と言い切られている。出離の縁のない衆生をそのまま自己自身とする、阿弥陀如来の慈悲のことである。

実は阿弥陀如来の慈悲のみが、我々衆生の上に、よく衆生縁の慈悲を徹底され、また法縁の慈悲を展開されることになる。我々の日常生活において問われる、衆生縁の慈悲も法縁の慈悲も、すべて我々にしてみれば、阿弥陀如来の一の弟子となり、一子(ひとりご)となって称名念仏申しながら、その阿弥陀如来の無縁の慈悲、大慈悲心を学習して深めていくことから始まる。

助けきれない家族を前にして、1,迫り来る火を恐れずに、2,その家族の傍らで「傍にいるから」と声を掛けながら焼け死ねるだろうか。また、2,「念仏申してくれ」と言ってその家族の傍を立ち去っていけるだろうか。いずれにしても如来・聖人を仰ぎながら衆生縁の慈悲を、法縁の慈悲を深く学び、実践し、常行大悲の利益を身に受けて生活していきたい。

《平成7年(1995年)2月13日》

6,同一の信心(1)個人に死んで「衆生の志願」に生きる

大谷専修学院 竹中智秀院長 【歎異抄講義】㉚

「恨み」と「悔い」しか残らない、死者と生者との関係が、死者と生者との両者が納得できる「衆生の志願」を明らかにすることによって、死者と生者とが和解して、共生共同し、その志願の実現のために共闘するという、そういう生活こそが真実の供養になる、と問題にしている。このことは死者と生者との関係だけではなく、生者同士が行き違い、離反しあう時でも、その衆生の志願の確認において、どのように離反しあっている時でも、お互いに共生共同できる関係を開くことになるだろう。

聖人は、

爾者称名能破衆生一切無明、能満衆生一切志願。
しかれば名を称するに、能く衆生の一切の無明を破し、能く衆生の一切の志願を満てたまう。(「教行信証」行巻)

と言い切られている。このことは、我々は称名念仏によってはじめて、「互いに同一の無量寿の“いのち”を生きる者であり、それ故に、お互いに“倶会一処したい”と願う者である」そのことを納得し、確認することができることが示されている。我々は、その衆生の志願を知らないために、無明の中にいて、行き違いばかりをしている。そのことをはっきりと知ったからこそ、恨みと悔いとにある者が、また離反しあう者が、それぞれ抜き差しならぬ現場を抱え、それを逆に縁として、その志願を納得し、確認することによって、より深く共生共同し、その志願の実現のために共に立ち上がることになる。それが僧伽作りでもあり、浄土を映し出す国作りでもある。

信心の行者には、現生十種の益があり、その最初は「冥衆護持の益」(みょうしゅうごじのやく)であることを見てきた。その「冥衆」とは死者たちのことである。我々が念仏者となる時、衆生の志願に納得する時、冥衆たちが、我々を怨み、祟り、障る者ではなく、むしろ衆生の志願に納得して、倶会一処して生きようと決意する我々を護持する者であることが示されている。だから死者が怨霊化して、祟り、障る者であるとして恐れる生者こそ、深い無明の中にある者と言える。

法然上人の父は、自分の出自に関して慢心があって、人を軽蔑し、その軽蔑した者の遺恨によって殺された。その時、上人は9歳。その仇を討ち父の恨みを晴らそうとするが、父は「怨親平等に出遇える世界を求めよ」と遺言している。上人は、その遺言に応えるために、怨親平等はどこで成り立つのか、そのことを求め、ついに本願念仏の仏法に出遇っている。法然上人が、念仏と言われる時には、その念仏が、そういう問題に応えていることを忘れてはならない。

実は、凡夫のことを「異生の者」、「分断生死する者」といわれている。このことは、凡夫はその煩悩によって、常に自分自身の勝他・名聞・利養の心を中心として生きている。そのため利害が一致する時は、共生共同し,共闘しているようだが、ひとたび利害が相反する時は、離反し敵対関係となってしまう。世間での生活は、その繰り返しである。誰とも分かり合い、出会うことがないまま、独生独死 独去独来する孤独な存在である。その凡夫を「異生する者」といい、「分断生死する者」とされている。

そういう凡夫が、称名念仏を通して、お互いが同じ一つの無量寿の“いのち”を生きる者であることを知り、また、いのちを支配する永遠の法則をも知ることになって、倶会一処して生きようとする衆生の志願に目覚め、菩薩として新生することになる。菩薩のことを、
「同生の者」、「変易生死する者」とも言う。なぜなら衆生の志願を共有することにより、共生共同し、共闘する者となれるからである。

中国の『列子』の中に「愚行山を移す」の民話がある。これは一人の農民が、田の日陰となっている山を削り取って、山を移そうとした時、皆が笑った。その時、その農民は「私の一生で移せなくても、私の子や孫が農民となる限り、私と同じ願いを持つだろう。そうすれば、次から次と私と同じ願いを持つ者が現れて、必ずこの山を移すことができる。やがて田には太陽が豊かにあたり、農作物は豊かに実にちがいない。」と言った。ここには単に個人的ではなく、農民であれば誰もが願うであろう公的な願いを、我が願いとして生きる農民がいる。

浄土真宗とは、称名念仏において、個人に死んで衆生の志願を我が命として生きる念仏者の伝統をいう。その伝統に参加して、僧伽作りに、浄土を映す国作りに加えられたことが、助けられたことになる。

この3月5日は、学院の青草会である。これは学祖の遺言「われら一向に念仏申して 仏天のもと青草びととなりて 祖聖に続かん」から来ている。「青草びと」とは、一向に念仏申して衆生の志願を生きる者のことである。それは祖聖 親鸞聖人をはじめとする多くの念仏者のことである。

学祖も、その青草びとの伝統に参加し、また我々にも「共に親鸞聖人に続いて青草びととなって生きよう」と呼びかけられている。その呼びかけに応えていくのが青草会である。それは、報恩としての念仏相続の仏事でもある。

《平成7年(1995年)2月27日》

5,如来の御恩を沙汰する(後序を中心として)

大谷専修学院 竹中智秀院長 【歎異抄講義】㉙

聖人が佐貫で「名号の他には何事の不足にて」と経を読むのを中止された問題である。このことははっきりさせておかなければならない。大震災から1ヶ月が経ち、合同葬儀が行われ、「何もできないことをどうか恨まないでください。誰もが悔やんでも悔やみきれない思いを胸に、これからの人生を歩んでいかなければなりません」という代表の言葉が目にとまった。(読売新聞)

聖人当時も今も、日本の仏教は鎮護国家の仏教であり、その伝統を承けて寺々はある。それは祈祷所である。現在も日本において僧に求められるのは祈祷である。時として、恨む者のその心を鎮め、悔やむ者のその心を慰め、その為に経を読むことになっている。そういう鎮護国家の仏教の伝統の中で、聖人は思わずそうしながらも「名号の他には何事の不足にて」とそれを中止し、念仏相続の使命に立ち上がられている。

しかしそのことを恵信尼はなぜ聖人が亡くなられた後、覚信尼に語られているのか。このことは、父 親鸞が、兄 善鸞をなぜ義絶されたのかを覚信尼に知らせる思いもあっただろう。善鸞は、結局は鎮護国家の仏教に逆戻りし、祈祷師になってしまった。その為の義絶でもあった。この佐貫の事件は、聖人にとっても、聖人の家族にとっても、後々の本願寺教団にとっても重大な意味を持つ事件なのである。それは「外儀は仏教 内心外道」という仏教の外道化と対決する問題に関わるからである、実はこのことが靖国問題とか、同和問題とかを左右する問題とも関係する。このことをよく知っておくべきである。

聖人の決断はその後、具体的にどうなっていくのか。聖人の関東時代、その行実はあまりはっきりしていない。ただ、いなかの人々との間に、御同朋としての深い交わりがあったことは確かである。恵信尼は覚信尼に、「下妻の夢想」のことを告げられている。それは聖人がいなかの人々から“善信の御房”と慕われ、その本地は観音菩薩と尊ばれていた事実があったことである。その観音とは、衆生縁の慈悲を行ずる菩薩のことである。

当時いなかの人々の中には聖徳太子信仰が根付いていた。その太子は、観音菩薩の示現と見られていた。時に大衆の中には、玉虫厨子に描かれている捨身飼虎(しゃしんしこ)の物語こそ、聖徳太子が誰であるかを示すものと信仰されていた。それは七子を抱えて、病み飢える虎に、その身を捨てて施し、その虎を助け真に大悲を行ずる者として誉め讃えられた。その者こそが聖徳太子であるという伝説である。この大悲捨身こそ衆生縁の慈悲の極まりである。聖人が、いなかの人々より聖徳太子にも等しいとされていたことである。「名号の他には」と言い切り、念仏相続に立ち上がられた聖人の生活が思われる。

一方、帰洛後の生活は、いなかの御同朋たちに念仏の心を伝えようとして身を捨てられている。そこには法縁の慈悲の極まりがある。法然上人が勢至菩薩の示現とされているが、この勢至は、法縁の慈悲を行ずる菩薩である。帰洛後の聖人には、勢至菩薩の示現を見ることができる。いずれにしても根本は、念仏して阿弥陀如来の説法を徹底して聞き開かれていたからこそである。

その説法とは、1,我々衆生が同じ一つの無量寿のいのちを生きている者であり、2,だからこそ我々衆生は倶会一処したいという深い志願を持つ者であることを示すことにある。このことは誰においても同じことである。この説法を聞くことができる限り、お互いに共に助かっていこうと生活しながら、自分のことを考えて相手を見捨てたり、また相手を信じ切れなくなって排除したりして、菩薩にとっては命取りになる“菩薩の死”に直面していることがはっきりする。

また、その原因は他でもない私自身が、1,如来を信じ切れないで疑い、2,如来の説くその法が信じ切れないで疑い、そのことから、3,縁ある人々を信じ切れなくなっていたことにあることがはっきりする。そのことは同時に、1,如来を信じ、2,その法を信じ、3,衆生は誰も皆、同じ一つの無量寿のいのちを生きる者であり、倶会一処を志願する者であることを信じることになり、“菩薩の死”を克服して、その関係を回復していくことが始まっていく。それは現場へ立ち帰り、そこで見捨てたり排除した者たちと共生していく生活である。

実は、そのことが浄土を映す国(=浄土の僧伽)を作り上げる運動となる。聖人はいなかの人々とそういう浄土の僧伽を、お互いに念仏を申し合わせながら作り上げられていた。お互いの関係が、怨みと悔いとしてしか残らない現実において、我々が念仏申す身となれるなら、「衆生の志願は倶会一処にあり」と必ず頷ける。だからその志願を生きることだけが、死者とも共生することになり、共闘することにもなる。それこそが、死者に対しての真実の供養となる。そういう仏事を勤められる僧となりたいものである。

先日みえた田口先生たちは、両家とも浄土真宗に縁を結ばれている檀家のようである。しかし、お母さんの結婚をめぐり、またお祖母さんの死をめぐって、いわれなき差別を縁の深い人々から受けられている現実のあることを私も知った。皆も心を揺り動かす先生の叫びを聞いた。仏事の場には、必ず浄土真宗に縁を持つ僧が身を置かれながら、親鸞聖人の教えが、特に「四海の内 皆兄弟」の教えが説かれてもいなければ、門徒の人々の心に届けられていない。何ら法縁の慈悲は具体化されていない。真実申し訳ないことと思う。

皆も田口先生の叫びを聞いた一人として、浄土真宗に縁を持つ僧として、仏弟子として、何としても仏事の現場において、法縁の慈悲が具体化できるように力を尽くしてほしい。そのことが田口先生の叫びを聞いた者の報恩である。だから念仏申す者として、衆生縁の慈悲、法縁の慈悲を展開する生活を共に深く学んでいきたい。

《平成7年(1995年)2月20日》

6,同一の信心(2)はじめに尊敬あり

大谷専修学院 竹中智秀院長 【歎異抄講義】㉛

本願念仏の仏法により、衆生の志願に目覚め、縁ある者と倶会一処して生きていこうと決意する時、どこでどう生活をしていても、必ずそこに関係が開かれてくる。なぜなら現にいま、共に生きることになっている他者の中にも、倶会一処して生きていこうとする願いがあることを信ずることができるからである。

仏法を信ずることは、自分自身がその願いを納得することになり、同時に他者にもその願いがあることを確認することになる。だから仏法を信ずることができない限り、自分自身が究極的に何を願いとして生きているのか、そのことが分からないし、また同時に、他者が真実、何を願って生きているのか、そのことが分からないことになってしまう。その為、お互いに共に生きていながら、結局は分かり合うこともなく行き違い、空過の思いだけが深まる。

この1年間、『歎異抄』により親鸞聖人によって示される本願念仏の仏法を学んできたが、仏法は知識として覚えるものではない。我が身、我がいのちが宿している、その“いのちの法則”に目覚め、その法則にしたがって自覚的に生きることを決断することにある。そのことが具体的に、倶会一処して生きようとする衆生の志願として言い当てられている。実はこの一事を納得できるかどうかが全てである。念仏申す身になるといっても、このことと別ではない。

天親菩薩は、「衆生の志願に目覚めた菩薩は、地獄化している無仏の世界へと往生していく」と示されている。このことは、特別に悲壮な決意をして、ということではない。これは、今ここの生活の現場に立ち帰ることである。

遊煩悩林現神通(煩悩の林に遊んで神通を現ず)  (「正信偈」)

と言われているように、自由自在にそこで遊戯(ゆげ)することである。何故そうなるかというと、どのように地獄化していて、無仏の世界と見えていても、そこもまた仏法の功徳が充ち満ちている世界であって、だれも皆、倶会一処して生きていこうと願っていることを信じることができたからである。

法然上人は、承元の法難の時、流刑地の四国へ行く途中、塩飽島に寄り、その地の念仏者に「常不軽菩薩(=法華経)のように、いかなる謀(はかりごと)を巡らしても、人を勧めて念仏せしめたまえ」と語りかけられている。常不軽菩薩は、どのような人をも軽蔑しないで、「あなたは仏性を宿し、やがて仏になられる尊い人です」と合掌し礼拝し続けている。そのことで石で打たれることもあったが、そのことをし続けたという。このことは誰にでもできそうなことである。

しかし煩悩成就の凡夫は自我意識が強く、自尊心が強く、いつでも自分を第一とし、相手と比べ、相手が自分より優れていると見る時は、劣等感に落ち込み相手を妬む。また自分よりも劣っていると見る時は、優越感に誇って相手を軽蔑してしまう。その為、いつでもお互いに関係しあいながら、相手の存在が見えなくなり、相手の声が聞こえなくなってしまって、閉ざされた世界の中に自分自身を閉じ込めている。だから凡夫には、相手を尊敬することなど全くない。

法然上人は、その凡夫が本願念仏の仏法により、衆生の志願に目覚めることになったが故に、常不軽菩薩のように他者を尊敬することができる者になっているとされている。はじめに軽蔑があれば、お互いの間に交わりははじまらない。はじめに尊敬があってはじめて、生活は深まっていく。

現代社会の中では、仏縁を結びにくい。その為、一人ひとりが衆生の志願に目覚める機会がなかなか無い。蓮如上人は、「宿善の機・無宿善の機」を問題にされているが、それはその者が仏縁のある者かどうなのかを問題にされていることである。仏道を成就する因は我々の身が、我々の“いのち”そのものが宿している。その因に目覚めていくべく、その因を開いていくためには、どうしても仏縁の有る無しが決定的な問題となる。

これから皆一人ひとりがどのような場所で生活することになるのか、誰も分からない。どこでどういう生活をすることになっても、称名念仏申しながら、衆生の志願を思い起こして、その生活を大事にして欲しい。
また共に生きることになる他者も、衆生の志願を生きようとする者であることを信じ、その者がその志願に目覚められるような、そういう仏縁となってあげて欲しい。ここに仏弟子としての、

自信教人信 大悲伝普化 真成報仏恩   (「往生礼讃」)
(自ら信じ教えて人を信ぜしむ 大悲を伝えて普く化す 真に仏恩を報ずるに成る)

の生活が深まっていき、共に空過し、流転することのない生活を全うすることになる。

(完)
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